【第27回】 作家 井上靖さん  (2016.6.1)

えんぴつを持つ勇気!
 
1本のえんぴつには、ふしぎな力があります。その力は、えんぴつを持つみなさんによって、いくらでも引き出すことができます。
それが「文を書く」という挑戦です。「作文」という冒険なのです。
もちろん、書くことは大変です。
私も毎日、文を書いてきました。それでも、スラスラとは書けないものです。書いては直し、また書いては直して、もとのものとは、まったくちがってしまうことだってあります。
だから、毎年の「きぼう作文コンクール」に応募してくれる少年少女部のみなさん一人一人に、私から賞をおくって、ほめてあげたい気持ちでいっぱいです。
私は若い時、人生の師匠である戸田城聖先生から、「書いて、書いて、書きまくれ!」とはげまされました。
私には、「正しい人生とは何か」「希望とは」「幸福とは」「生命とは」「平和をつくるには」など、戸田先生から教えていただいた真実を、書いて世界に伝える使命があります。
そして、民衆のため、社会のため、人類のために、みなさんのおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん方と行動してきた歴史を、未来に残す責任があります。
だから、私はこれからも、書き続けていきます。
この「書く」という戦いを、みなさんが受け継いでくれることが、私の何よりの喜びなのです。
 
私は、作家の方々からも多くのことを学びました。その1人に、井上靖さんがいます。みなさんのなかにも、ものがたり『しろばんば』や『あすなろ物語』などを読んだ人がいるでしょう。
井上さんは1907年、北海道に生まれました。お父さんの転勤が多かったこともあって、おさないころは静岡県の伊豆に住むおばあさんにあずけられ、愛情たっぷりに育てられました。
夏はカエルの大合唱、秋は虫の声につつまれる自然豊かなところでした。
そのおばあさんが亡くなり、中学に入ると、今度は親せきの家にあずけられました。それでも井上少年は、さみしくありませんでした。
仲の良い友だちがいたからです。その友だちが読書好きだったこともあり、詩や歌、俳句、小説に興味を持つようになりました。
自分でも詩を作り始めました。
やがて新聞記者となって活やくした後、作家として名作を次々に発表されたのです。
 
私が井上さんとお会いしたのは、1975年のことです。もう40年以上も前になります。3時間半、語り合っても話はつきず、続きは手紙をやりとりして、月刊誌にのせることになりました。井上さんは67歳、私は20歳年下でした。
連載が始まる直前、私は3度目の中国訪問をして、日中の教育交流を進めていました。井上さんも、長年、日中友好に力をつくしてこられた方です。
最初にいただいたお手紙では、ご自身が中国を訪問した時のことを振り返り、記されていました。
──揚子江(中国で1番長い川)の岸で、手を赤くして甕(入れ物)を洗っている女性たちを見た。私もまたそのようなところで、そのようにして私の文字を書きたいと、言われたのです。
自分が特別だから文を書くのではない。悠々たる水の流れとともに、一生けんめいに文を書いていきたい。永遠の時の流れにも失われることのない、人間の誇りをとどめたい──その井上さんの心が伝わってきました。
このころ、井上さんは、長編小説に取り組んでいました。「今のところは深い霧の中にいるような思いであります。書いてゆくうちに私なりのわかりかたおも方をしてくるかと思います」
井上さんのような大文豪でも、書く前は、悩むものなのです。ねばり強く書き進めるなかで、何を書けばよいか見えてくるのです。ししんし見えてくるのです。
手紙では、大切にしている指針も紹介してくださいました。それは、人や物を見る時は「自分の目で見ること」でした。思いこみや、人から聞いた話ではなく、自分の目で正しく見たものを信じることでした。
その通り、井上さんは、創価学会がうそばかりの悪口をいわれた時も、真実の姿を見つめ、いささかも変わることなく信頼してくださいました。偉大な人とは、友情を貫く人のことです。
春夏秋冬にわたる私たちの手紙のやりとりは、後に『四季の雁書』として本になりました。「雁書」とは「手紙」を意味します。
最近、井上さんのご長女が出された本の中でも、お父様と私の交流のことを記してくださっていて、なつかしく拝見しました。
 
井上さんは、子どもたちの詩を大切にされていました。
第2次世界大戦が終わってまもなく、井上さんは児童向け雑誌の編集にたずさわったことがあります。その時、2人の少女の詩を読んで、おどろきました。
文をたくさん書いてきた自分自身が、「何もかも初めからやり直さなければならない」と思うほど、心をゆさぶられたというのです。
〝小学校時代は、みんな、大人の詩人もおよばないほどの、するどい感性をを持っている〟──と。
「詩を一篇書けば、それはもう誰でも詩人」とも、井上さんは言われています。
私も戸田先生のもとで少年雑誌の編集をしましたので、井上さんの気持ちがよく分かります。
みなさんがのびのびと書いた文章が、どれほど光を放っているか。
そこにこそ、未来の夢がある。人類の希望がある。世界の平和があると、私は信じています。
 
井上さんが人生の総仕上げに書かれた、忘れ得ぬ詩があります。
 
 樹木も、空も、雲も、風も、鳥も、
 みな生きている。
 静かに生きている。
 陽の光りも、遠くの自動車の音も、
 みな生きている。
 生きている森羅万象(宇宙)の中、
 書斎の一隅(片すみ)に坐って、
 私も亦、生きている。
 
この宇宙のありとあらゆるものには「いのち」があります。
それを言葉にして書き残す時、その瞬間から、「いのち」は未来に向かって生き続けていくのです。
文を書くことで、自分の思いを形にできます。それは、永遠の宝物になります。その文を読んだ人にも、思いが伝わります。
お父さん、お母さんへの感謝を書けば、親孝行です。大事な友人のことを書けば、友情のドラマになります。本の感想を書けば、その本と一生の友だちです。
えんぴつを持つ勇気を出せば、文は書けます。思い切って書き始めれば、知恵が出てきます。あきらめずに書き続けていけば、みんな、「ペンの勇者」なのです。
今年の夏も、伝統の「きぼう作文コンクール」があります。多くの先輩たちが、このコンクールをきっかけに、文章の力をつけ、大きく成長してきました。
みなさんにとっても、自分の可能性を広げるチャンスです。
さあ、大空を見上げ、自分自身の「いのち」をかがやかせながら、思いを言葉にしてみよう。
君にしか書けない文がある。あなたにしかつづれない詩がある。なぜなら、みなさんは「生まれながらの詩人」なのだから!
 
井上靖の言葉や詩は、井上靖著『わが一期一会』(毎日新聞社)、黒田佳子著『父・井上靖の一期一会』(潮出版社)、『井上靖全集 第一巻』(新潮社)から。参考文献は、井上靖著・竹内清己編『作家の自伝18 井上靖』(日本図書センター)、井上靖著『幼き日のこと・青春放浪』(新潮社)、浦城いくよ著『父 井上靖と私』(ユーフォーブックス)、松本昭著『人間復活──吉川英治井上靖池田大作を結ぶこころの軌跡』(アールズ出版)ほか。