【第25回】 グラスゴーの緑の広場   (2016.4.1)

新しい出会いから弾む心で出発!
朗らかなあいさつで友情の金の道をひらいていこう
 
温かく陽光が降り注ぎます。
明るく桜花が咲き誇ります。
「春」は英語で「Spring(スプリング)」です。その通り、あらゆる生命が跳びはねるように躍動しています。
新入生の皆さん、心躍る入学、本当におめでとう! 進級した先輩たちも、新たな挑戦の開始だね。
誰しも、環境の変化を不安に思ったり、緊張したりするものです。
しかし、皆さんには、勇気を奮い起こす題目がある。
新出発を切る、わが未来部の皆さんに、英国スコットランドの国民詩人バーンズの詩を贈ります。
「財宝も、快楽も、
長く私どもを幸福《さいわい》にはせぬ。
心こそ常に人の幸不幸を
定むる機官だ」
幸福《こうふく》は、心から生まれます。
勝利は、心から花開きます。
未来は、心から創られます。
さあ朝の勤行・唱題から心に勇気の太陽を昇らせて、一日一日を勢いよくスタートしよう!
 
英国スコットランドは、私にとって忘れ得ぬ心の故郷です。
1994年の6月、私はスコットランド第一の都市グラスゴーを訪れ、民謡にも謡われるローモンド湖のほとりに到着しました。
民族楽器バグパイプの妙なる調べが、湖をわたる風に響いて、迎えてくれました。湖に映る広い空は、どこまでも青く輝いていました。
歓迎くださった地元の皆さんも、「こんな空は見たことがない」と喜ばれるほどの晴天でした。
この地域は雨がよく降ります。そして、雨降りの日にも楽しみがあります。それは、雨上がりの美しい虹を見ること。
日照時間のすくない故郷も、詩情豊かに「虹の国」と讃える人々は、人生を朗らに生きる賢者です。
スコットランドは、イングランドウェールズ北アイルランドと共に、英国を構成する連合王国の一つです。
6世紀に始まったグラスゴーの歴史は、石畳の路と歴史的な建造物に映し出されています。
人類史の大転換となった18世紀の「産業革命」の電源地として、ロンドン、パリ、ベルリンに次ぐ人口を誇るヨーロッパ第4の都市として栄えました。
スコットランドの人々は、勤勉にして、誠実で忍耐強い。そして、「自由のある所、これ、わが故郷なり」という勇壮な心で、世界各地に雄飛して活躍してきました。
日本との関係も、とても深い。
江戸から明治へと時代が変わる時、日本は鎖国から開国へと舵を切りました。世界との〝出あいの時〟がやってきたのです。
西洋の進んだ技術に学ぶため、海外から専門家や技術者を招いて、急速に近代化を進めました。
そのうち、実に半数に当たる約2000人が英国出身で、大半はスコットランド人です。産業革命を支えた知識や経験を惜しみなく伝えてくれました。
今、私たちの生活を支える上下水道、鉄道、灯台、近代銀行制度などは、全て、海を越えて来てくれた、この先人たちに学んだ技術がもとになっています。
地震学、言語学、考古学など学問でも、大きな影響を受けました。日本に近代化をもたらしたスコットランドは、まさに〝大恩の国〟なのです。
 
グラスゴー産業革命の電源地となり得たのは、なぜか。学問の革命や技術の革命を担う逸材を陸続と育てたからです。その人材の揺籃として〝教育の大城〟と輝くのが、名門グラスゴー大学です。
このグラスゴー大学から、私は戸田城聖先生の弟子として、名誉博士号を拝受しました。
授与式が行われたのは、6月15日。石造りとモザイク模様が美しい学舎が迎えてくれました。街を見晴らす高台に立つキャンパスは、大学併設の美術館、博物館も有名です。
創立は1451年。日本が戦国時代に入ろうとする頃、この最高学府は誕生しました。
大学は、知と知、人間と人間の〝出会いの場〟です。私は、産業革命を開いた友情の逸話に思いをはせました。
──蒸気機関の発明で知られるスコットランド出身のジェームズ・ワットは、無名の器具造り職人でした。
ロンドンで修行を積み、1年で技術を習い修めた後、グラスゴーで開業しようとしました。ところが、ギルド(同業者組合)から許可が出ません。
正式なグラスゴー市民ではなかったことと、修業期間が短すぎるという理由からでした。
優れた才能をもちながら、〝慣習〟の壁にぶつかったワットは、途方に暮れます。そんな青年に手を差し伸べた人物がいました。
当時、グラスゴー大学で教員を務め、後に「経済学の父」と呼ばれた、若き日のアダム・スミスです。
スミスの助力もあり、ワットは大学内に作業室を借り受け、仕事ができるようになりました。スミスは、ワットの作業室に足を運び、励ましの声を掛けたといいます。
多くの学者との交流等を通して科学技術の知識をさらに深めたワットは、後年、人類初の蒸気機関を誕生させます。
「職人」と「学者」という立場の違いを超えた二人の出会いが、時を経て、人類の歴史を変える発明に結実したのです。
 
スコットランド出身の歴史家カーライルは、「人間が人間に与える力は無限である」と綴っています。
全く、その通りです。人は、人と出会い、学び合い、励まし合う中でこそ、偉大になっていくのです。
出会いは、自身を成長させる、かけがえのない宝です。
出会いは、人生を彩る美しきドラマです。
出会いは、歴史を創るエネルギーの源泉なのです。
新学年になると、多くの新しい友達との出会いがあります。
よき友と誠実に語り合えば、今まで分からなかった自分の長所にも気づくでしょう。
「新しい友との出会い」は「新しい自分自身との出会い」のチャンスでもあります。
日蓮大聖人は、「この法門を語り、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(御書1418㌻、通解)と語られています。  
生命の哲理を明かした仏法を、若くして探究し、実践する皆さんは、最も価値ある出会いを広げていける人です。
70億人という人類の中から、不思議にも、今ここに集い白った縁《えにし》を大切にしながら、新たな友にも「はじめまして!」「よろしくね!」と朗らかに声を掛けてください。
そして、伸び伸びと聡明に、友情の金の道を開いていっていだきたいのです。
 
グラスゴー大学での授与式は、まことに荘厳で、厳粛でした。
会場は、天井の高い壮麗なビュート・ホールです。パイプオルガンの重厚な調べが轟く中、銀の職杖を掲げた儀官を先頭に、入場が始まりました。
私は、他の9人の受章者の方と共に、中央の通路をゆっくりと進みました。ステンドグラスには、かの国民詩人バーンズをはじめ英国の誇る文化人の肖像が描かれ、見守っていました。
式典では、受章者が一人ずつ、「ブラック・ストーン・チェア」といわれる椅子に座り、それぞれの推挙者から紹介されます。
目と耳と口の三重苦を乗り越えて人類に貢献した女性ヘレン・ケラーさんも、かつて名誉博士号を贈られ、座った椅子です。
私の番が来ると、グラスゴー大学の評議会議長である、マンロー博士が、「推挙の辞」を読み上げてくださいました。
博士は、凜然としたよく通る声で、「池田氏の人生の方向を決定づけたのは、1947年、戸田域聖氏と出会い、氏の弟子になられたことであります」と語られました。
19歳で戸田先生に出会って以来、私は弟子として一筋に生き抜いてきました。
先生の事業を支えるため、夜学を断念せざるを得ませんでしたが、先生は、「私が責任をもって、君の個人教授をしていくよ」と、激務の合間を縫って、亡くなる直前まで個人授業をしてくださいました。
誉れの「戸田大学」です。
当時の日記には、「先生の悠然たる姿。あまりにも大きい境涯。未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」と記しました。
私は、将来、必ずや恩師の偉大さを世界に宣揚して、恩返しを果たすのだと誓ったのです。
マンロー博士の「ジョウセイ・トダ」の声がホールに、何度も何度も響きました。今も耳から離れません。
マンロー博士自身も、師匠との出会いによって人生が決まりまた。
学生時代、アフリカ研究を専攻していた教授と出会い、その大情熱いに触れ、実業界への進路を変更して、アフリカ経済史の研究に生涯を捧げようと誓ったのです。
「どんな世界でも、道を極めるには、師弟の関係を除いてはありえない」と博士は断言されました。
ありがたいことに、マンロー博士は、その後も、創価大学からの留学生たちを、それはそれは温かく迎え、慈父の如く励まし続けてくださっております。
グラスゴー大学に学んだ創価の友が、今、世界の各界で立派に活厳してくれていることも嬉しい限りです。
また22年前、共に栄誉を分かち合ったスコットランドの友人方が、さらに信頼のスクラムを広げながら、社会に貢献されていることが、このうえない喜びです。
 
私の最大の幸福は、戸田先生という師に出会えたことです。師のおかげで、真実の正しい人生の道を歩み通すことができました。
そして今、私には後継の全てをたく託す、未来部の皆さんがいる。これほど幸福なことはありません。
戸田先生は、「大作がいて、私は本当に幸せだ」とおっしゃってくださいました。
今、私は、恩師と全く同じ思いです。「未来部の皆さんがいて、私は本当に幸せだ」──と。
愛する皆さん、この1年間も、よろしく! 弾む心で、一緒に進もう!
 
※バーンズの言葉は『バーンズ詩集』申村為治訳(岩波書店刊)、カーライルの言葉は山崎八郎訳『ゲーテ=カーライル往復書簡』岩波文庫所収。参考文献は高橋哲雄著『スコットランド 歴史を歩く』岩波新書