【第26回】 メキシコの空港      (2016.5.1付 未来ジャーナル)

夢への飛翔は「今ここから!」
「努力する才能」に勝るものはなし。喜び勇んで挑戦を!
 
晴れわたる希望の5月です。
5月3日は、「創価学会の日」です。それは、1951年、わが師・戸田城聖先生が第2代会長になられた日です。さらに1960年のこの日に、私も恩師の心を継ぎ、第3代会長に就任しました。
そして5月5日は、わが未来部の皆さんに次代の全てを託す、「創価学会後継者の日」です。
未来部出身の先輩たちは、青春の誓いを胸に、世界中で、社会のために奮闘してくれています。
中米・メキシコの詩人レイエスは、「私の家は地球である」とうたいました。
これから、ますます、地球全体が、皆さんの活躍の舞台です。192カ国・地域の創価の地球家族も、皆さんが世界市民と躍り出て、思う存分にに乱舞してくれる日を、待ち望んでいます。
 
皆さんの道を開く一心で、私は世界54カ国・地域を歴訪してきました。その中でも、特別な意味を持った国があります。
それは「メキシコ」です。戸田先生が夢に見て、「行ってみたい」と念願していた国だからです。
私は、飛行機の給油で立ち寄ったことも含めて5回、訪問し、尊き同志たちと忘れ得ぬ出会いを刻みました。
メキシコは、近代日本が初めて平等条約を締結した国です。ラテンアメリカで真っ先に日本人移住者を迎え入れてくれたのも、メキシコです。日本にとって、大恩ある国なのです。
戸田先生は、そのメキシコに、強い関心を持たれていました。
メキシコに関する本を読まれ、折に触れて、私にも語ってくださいました。
また、幼少期をメキシコで過ごした関西の婦人に、現地の生活の様子などについて、よく尋ねられました。その方の話を、うなずきながら楽しそうに聞かれていた笑顔が、忘れられません。 
そして1958年、亡くなる前月の3月、広布と人生の願業を成就された戸田先生は、ある朝、私を枕元に呼んで語られました。
「大作、メキシコへ行った夢を見たよ」「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな」──その夢を携えて、私は不二の弟子として、世界を駆け巡ってきたのです。
今、メキシコ広布は、目を見張るほどの大発展を遂げています。私が第一歩を印した1965年以来、尊き同志たちは、「良き市民」「良き国民」として誠実に社会貢献の人生を歩んできました。
広布50周年の佳節を迎えた昨年11月には、メキシコ市の中心に、念願の「メキシコ平和文化センター」が誕生しました。
恩師が満面の笑みで喜ばれる姿が、私の目に、ありありと浮かんできます。
 
20年前の1996年6月、私は、コスタリカから、メキシコのベラクルス国際空港に向かいました。アメリカへの経由地として、メキシコに立ち寄ることができたのです。その機中、私は一詩を詠みました。
 
 おお!
 偉大なるメキシコ
 わが恩師が愛し憧れし 天地よ
 「待っていた。
 みんな待っていたよ」──
 恩師が 夢見し
 不思議なる縁の同志よ!……
 
空港のロビーに降り立つと、そこには、戸田先生の夢見た通りの世界が広がっていました。熱気に満ちた数百人の友。生き生きと輝く瞳。はじける信仰の大歓喜に、私の胸も揺さぶられました。
わずかな時間でしたが、勇み集った同志と共に永遠の時を刻む思いで、記念撮影も行いました。
「どうか、一人ももれなく、力強く生き抜いてほしい。幸せになっていただきたい」──私は、メキシコの全同志の人生勝利を祈りつつ、滑走路へ向かう飛行機の機窓から、空港ビルで手を振るメンバーにカメラを向けました。
機中で、私は即興の詩を詠み、再度、友に贈りました。
 
 ……ここにも 懐かしき
 創価の友がいた
 ここにも 使命に燃える
 地涌の友がいた
 
あの日、ベラクルス国際空港で、青・黄・赤の旗を振って、真心の歓迎をしてくれた少年少女に、私は語り掛けました。
「皆さん、ありがとう! 皆さんのことは、忘れません。大きくなったら、日本にいらっしゃい!」
その中に、「ヨウコソ!」と日本語で花束を手渡してくれた、一人の少女がいました。私の呼び掛かけに、少女は、「いつか、必ず日本に行こう!」と固く決意したといいます。
メキシコから見て、日本は地球の反対側。飛行機でも丸1日を要します。お金の工面も大変です。それでも彼女は、夢を思い描き、心躍らせながら、「どうすれば、日本に行けるか」と具体的に祈り、一生懸命、勉強を重ねました。
その後、大学、大学院を経て、大手の石油会社に就職。社会で実証を示しながら、白蓮グループなど学会活動に元気に励みました。そして2011年のSGI研修会に、女子部のリーダーとして、念願の来日を果たしたのです。
私は妻と、その報を聞き、「本当に来てくれたんだね。うれしい!」と伝えました。
彼女は、「創価の心を、メキシコ中に広げていきます!」と、今日もメキシコ広布に走り抜いています。
メキシコで最も著名なピアニストの一人、アレハンドロ・マトスさんとの出会いも忘れられません。1981年3月5日、メキシコ・ハリスコ州の芸術局長だったお父さまが、私たちをグアダラハラ市のご自宅に招いてくださったのです。
当時、16歳で、ピアニストを目指していたマトス青年は、瞳を輝かせて、ピアノ演奏を披露してくれました。その流麗な響きに、美しい心と大きな可能性を感じ、私は真剣にエールを送りました。
「大音楽家になってください」「何があっても負けないで!」と。
以来、35年。「皆に勇気を送る音楽家に!」と志も高く、ピアノの練習に力を注ぎ、今や、マトスさんは、音楽の国オーストリアから国家勲章を受章するほどの世界的なピアニストとして輝き光っています。
私たちとの心の交流も、深く続いています。
夢をかなえた人たちに共通していること──それは「根性」であ「努力」です。
「結局は『努力より才能』だ」という大人もいるかもしれない。しかし、私は断言します。
「『努力する才能』に勝るものはない」。それは、「誰にも等しくそなわっている」と。
努力を重ねても、思うようにいかないこともある。悔しい思いをし、失破に傷つくこともある。しかし、努力する中でこそ、人格は磨かれる。人間としての深みが増し、強く、優しくなれる。
45年前、私が、高校生の時から見守ってきた一人の青年が、メキシコへ雄飛しました。その時、私は、あえて厳しく言いました。
「外国に行くのだから、大変です。生やさしいものではありません。根性の人になりなさい。努力の人になりなさい。根無し草になってはいけない」と。
彼は、根性を発揮し、努力を重ねて、メキシコ初の日本人公認会計士となり、メキシコの同志に大いに尽くしてくれました。
300年前のメキシコで活躍した偉大な詩人ソル・フアナは、きっぱりと宣言しました。
「私は宝も財産も望まない。喜ばしいことは知性を豊かにすることである」
圧倒的な男性優位の時代に、学問の道を志した少女ソル・フアナは、本を友として、「読んでまたさらに読む」という努力を繰り返しました。
すると、彼女は一つのことに気づきました。
「ひとつの分野が他の分野の妨げにならないばかりか、たがいに補助しあって、催互の異同(違い)と隠れた関連によって光を当てあい、道を開きあうことになる」
そして、力をつけた若きソル・フアナは、どんな傲慢な学者らと討論しても、毅然と論破していったと伝えられます。
学べば学ぶほど、努力をすればするほど、学んだことや努力したことが互いに助け合って、「道」を開いてくれる。ここに気づけば、学ぶ努力ほど楽しいものはない。無駄な努力は一つもありません。
未来を担う皆さんには、伸び伸びと学んでいただきたい。得意なものは、もっと得意に。その努力は、苦手なものさえ得意なものに変えてくれます。
得意なものが見つからなければ、いろいろ学んでみよう。自分らしい得意な道が、必ず見つかります。
皆さんは、若き朗らかな「努力博士」になってください。
 
メキシコは、日常の中に音楽とダンスがある、文化薫る国です。街中でも、家でも、陽気な音楽が響き、ダンスが始まります。
81年の訪問では、メキシコSGIの親善文化祭に出席しました(3月1日、メキシコ市で)。
各地の伝統音楽に合わせ、色彩豊かな民族衣装をまとったメンバーが笑顔を輝かせて踊ってくれた姿が忘れられません。
皆、仕事や勉強などで多忙な中、練習に挑戦してきたのです。未来部も、鼓笛隊をはじめとして大活躍でした。
私は、法華経に説かれる「地涌の菩薩」を見る思いがしました。
地涌の菩薩は、悩み苦しむ人々を救うため、大地から涌き出てきた、仏の直弟子たちです。その活躍の場は、末法の娑婆世界という人の心や思想が乱れた現実世界です。正しい教えを弘めるにも、困難や反発があります。
しかし、日蓮大聖人は、「(地涌の菩薩のリーダーである)上行菩薩が大地から出現された時は、踊り出てこられた」(御書1300㌻、趣意)と仰せです。地涌の菩薩は、苦難を前に「踊りながら」喜び勇んで出現したのです。
その「地涌」の力を最大限に引き出す源泉が、日々の勤行・唱題です。
題目を唱えると、不思議と心が躍ります。「歓喜の中の大歓喜」がこみ上げてきます。「僕には可能性がある!」「私は困難に負けない!」と、生命の奥底から決意できます。
ゆえに、題目を唱える人は、希望を創りゆく勇者なのです。
現代メキシコの詩人で作家のオクタビオ・パスは、作品の中で、希望の光を見失わせようとする「心の闇」に、こう言い放ちます。「時間の中では、一分一分が永遠の種子なのだ」「我々は時の子供、時こそは希望さ」と。
「いつか」ではない。「今」です。
今この時に題目を唱えて、踏み出す一歩が、永遠に輝きわたる希望の未来を開きます。
さあ、「全てが今ここから始まる!」と勇気の翼を広げて、私と一緒に、使命の大空へ、大きく高くフライトしよう!
 
ソル・フアナの言葉は『知への賛歌 修道女フアナの手紙』旦敬介訳(光文社刊)ほか。オクタビオ・パスの言葉は『ラテンアメリカ文学選集③ くもり空』井上義一・飯島みどり訳(現代企画室刊)