小説「新・人間革命」 清新21 2016年年7月8日

岩手県陸前高田市で養殖漁業を営んできた村川良彦は、ローンで購入した最新設備の漁船を津波で失った。
港も全壊した。失意と落胆のなかで地区部長の彼は、同志の安否確認や集落の復旧作業などに取り組んだ。
壊滅的な街を見ると、絶望的な思いに襲われた。
前に進まなければ!──唱題し、学会の指導をむさぼるように読んだ。
彼には、震災の日の早朝、妻の文と収穫した一トンのワカメがあった。三陸ワカメのなかでも最高級の品で、普段の何倍もの値がつく。
生活はつなげる。
ところが彼らは、そのワカメを惜しげもなく近隣に配り始めた。
人は食べれば元気が出る。今、大事なのは、みんなが元気になることだ──と考えての決断だった。
喜ぶ人びとの顔。勇気が湧いた。またワカメをつくろうと思った。
聖教新聞」が被災地を特集し、村川が地区部長を務める広田地区の様子が紹介されると、全国の同志から何百通もの激励の手紙が届いた。
阪神・淡路大震災」で被災した兵庫県西宮市の、同じ「広田」の名を冠する広田太陽地区からも、寄せ書きが送られた。
しかも、この兵庫県の地区部長は村川と同姓であり、震災で自宅が全壊した体験をもっていた。
そして、陸前高田の村川の自宅を訪ね、自身の体験を語ってくれた。
「兄弟地区として一緒に頑張りましょう」の言葉が、親しい人たちを失った村川たちの心に響いた。
苦闘する友を断じて放ってはおかぬ。自分にできるすべてのことをするのだ! これが仏法兄弟の連帯の心である。
津波ですべてを失い、漁業の再開を断念した人もいた。
しかし、村川は、学会員の自分が、集落の復興の先頭に立とうと決意し、共同での養殖作業を進め、震災の翌々年一月に新しい漁船を購入した。
彼は、地域復興の推進力となっていったのだ。
創価の同志の生き方には、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書一五九八ページ)との精神が脈打っている。これこそが地域を建設する力となる。