小説「新・人間革命」 清新37 2016年年7月28日

山本伸一は、役員の青年たちと記念のカメラに納まり、近況などを尋ねていった。
そして、握手を交わすと、力強く訴えた。
「青森の青は青年の青だ! 青森の森は人材の森だ! どうか青森青年部は、広宣流布を担い立つ人材の森に育ってほしい。
二十一世紀の学会の柱は、青森の君たちだよ」
一人の男子部員が、伸一に報告した。
「先生。先日、友人を入会させることができました!」
「そうか。おめでとう。その友人によろしく。しっかり面倒をみてあげてください。
 弘教を実らせることほど、すばらしい人生の栄光はありません。慈悲と友情の究極です。
崩れざる永遠の幸せの道を教えたんですから。また、それでこそ、学会の後継者です。
青年に、その慈折広布の精神と実践がある限り、学会の未来は盤石です」
創価学会の信心は、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊への絶対の確信から始まる。
そして、地涌の菩薩の使命を自覚し、死身弘法の決意に立って、日蓮大聖人の民衆救済の大法を広宣流布していく、仏意仏勅の団体が創価学会である。
ゆえに、もしも、御本尊への大確信を失うならば、創価の信心の火は消え失せてしまう。
また、折伏・弘教の実践がなくなれば、学会の魂は絶え果てる。
したがって、この二つを受け継ぐなかにこそ、創価の師弟があり、後継の正道があるのだ。
あの宗門が、戦時中、権力に迎合する一方で、権威の維持に汲々とし、腐敗堕落していったのも、御本尊への絶対の確信なきゆえであり、宗開両祖の精神である、
広宣流布の大願に生きることを忘れたからである。
大法弘通の闘争がなければ、確信の火は燃えず、歓喜がもたらす生命の躍動もない。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を旗印に進む創価の大道には、慈悲と確信と歓喜の対話が弾み、幸の花々が咲き薫る。
生涯、地涌の誇りを胸に、折伏・弘教の旗を掲げ通す人こそが、真正の創価の勇者である。