小説「新・人間革命」 清新49 2016年年8月11日

日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。
当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。
易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。
また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。
世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。
この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。
しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。
つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。
まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。
しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。
文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。
法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。
法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。
このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。
それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。
ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。