小説「新・人間革命」源流 13 2016年9月16日

大河内敬一が渡印したころ、インドは、干ばつによる食料不足や物価高騰、失業、汚職などから反政府運動が高まり、政情不安の渦中にあった。
物情騒然とし、多くの外国企業が、インドから引き揚げていった。
そのなかで、彼の留学生活は始まったのである。
当然のことながら、英語で授業を受け、英語で試験に臨む。
努力はしてきたが、語学の壁は高く厚かった。
十一月の試験では、成績は、ほとんどの教科が最下位であった。
これを乗り越えなければ、インドで使命を果たすことはできない。負けてたまるか!
大学の寮で、深夜まで猛勉強に励んだ。
そして、最優秀の成績で修士課程を修了し、さらに、国立ジャワハルラル・ネルー大学の博士課程に進むことができたのである。
彼は、山本伸一の「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」との指導を噛み締めた。
伸一は、ニューデリーのホテルにあって、人間的にも大きく成長した大河内を見て、たくましさを感じた。
手塩にかけた創価の若師子が、いよいよインドの大地を疾駆し始めたことが
嬉しくて仕方なかった。
高等部を、また、鳳雛会を、さらに未来部各部を、未来会等をつくり、広宣流布の人材の大河を開いてきたことが、いかに大きな意味をもつか
──それは後世の歴史が証明するにちがいないと、伸一は強く確信していた。
人は皆、各人各様の個性があり、才能をもっている。誰もが人材である。
しかし、その個性、能力も開発されることがなければ、埋もれたままで終わってしまう。
一人ひとりが自分の力を、いかんなく発揮していくには、さまざまな教育の場が必要である。
その教育の根幹をなすものは、使命の自覚を促すための、魂の触発である。
伸一は、インド広布に生きるという大河内に、記念の句を詠み、贈った。
「永遠に 君の名薫れ 霊鷲山