小説「新・人間革命」源流 55 2016年11月5日
日蓮大聖人は、「観心本尊抄」において、地涌の菩薩は、「末法の初に出で給わざる可きか」(御書二五四ページ)と明言され、その出現の具体的な様相について、「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」(同)と述べられている。
「愚王を誡責」するとは、社会に君臨し、民衆を不幸にしている権威、権力の誤りを正していくことである。
主権在民の今日では、各界の指導者をはじめ、全民衆の胸中に正法を打ち立て、仏法の生命尊厳の哲理、慈悲の精神を根底にした社会の改革、建設に取り組むことを意味していよう。
つまり、立正安国の実現である。弘教という広宣流布の活動は、立正安国をもって完結する。
個人の内面の変革に始まり、現実の苦悩から人びとを解放し、幸福社会を築き上げていくことに折伏の目的もある。
しかし、それは困難極まりない労作業といえよう。
取り調べの場にあっても、日蓮仏法の正義を語り説いた。
まさに「愚王を誡責」して獄死し、殉教の生涯を閉じたのである。
戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した。