小説「新・人間革命」 大山 十九 2017年1月24日
また、法主の水谷日昇は、この宗会決議を採用しなかったのである。
笠原事件を乗り越えた学会の、師弟の魂の結合は一段と強くなっていった。
逆風に翼を広げ、会員七十五万世帯の達成へ、雄々しく飛翔していったのである。
伸一は今、学会の首脳たちに、広宣流布に断固と生きる師弟の気概が、燃え盛る創価の闘魂が、感じられないことを憂慮していた。
そこで、法華講総講頭の辞任とともに、創価学会の会長も辞任する意向であることを伝えたのである。
伸一にとっては、悪僧らの攻撃から、学会員を守ることこそが最重要であった。
彼には、“自分は会長を退いても、若き世代が創価の広宣流布の松明を受け継ぎ、さっそうと二十一世紀の大舞台に躍り出てくれるにちがいない”との、大きな確信があった。
後継の人あれば、心配も悔いもない。「私には青年がいる!」と胸を張れる指導者は幸せである。
未来は希望に満ちているからだ。
四月七日の午後、伸一は、創価大学を訪れた中華全国青年連合会(略称・全青連)の一行二十人を、「文学の池」のほとりにある、美しく花開いた「周桜」の前で迎えた。
そして、伸一の待つ創価大学にやって来たのである。
伸一には、“今こそ、平和の哲学をもって世界を結ばねばならない”との強い思いがあった。
だから、何があっても、いかなる嵐の渦中にあっても、世界に平和の橋を架ける作業に全力を注ぎ続けた。