小説「新・人間革命」 雌伏 十  2017年4月4日

残暑の東京を発って二時間半、夜霧に包まれた軽井沢は肌寒かった。
山本伸一が長野研修道場に到着すると、地元の幹部や役員など、数人が出迎えた。
会長を辞任したあと、「聖教新聞」などの機関紙誌で、彼の行動が報じられることは、ほとんどなかったためか、皆、笑顔ではあったが、どことなく不安な表情をしていた。
伸一は、同志のそんな気持ちを吹き飛ばすように、力強い声で言った。
「私は元気だよ! さあ、出発だ!」
師弟の天地に、師子吼が響き渡った。
彼は、長野県長の斉田高志と握手を交わしながら語っていった。
斉田は、三十七歳の青年県長であった。
「私は、名誉会長になったということで、広布の活動を休むことも、やめてしまうこともできる。
そうすれば楽になるだろう。
しかし、一歩でも退く心をもつならば、もはや広宣流布に生きる創価の師弟ではない。
戸田先生は、激怒されるだろう。
地涌の菩薩の使命を自覚するならば、どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。
智慧と勇気の闘争だ。大聖人は『いまだこりず候』(御書一〇五六ページ)と言われ、いかなる迫害にも屈せず、戦い抜かれたじゃないか! 
みんなも、生涯、何があっても、いかなる立場、状況に追い込まれようとも、広宣流布の戦いを、信心の戦いを、決してやめてはいけないよ。
私は、会員の皆さんのために戦い続けます」
伸一の長野訪問は九日間の予定であった。
到着翌日の二十一日は、朝から役員の青年らを激励し、昼食も草創の同志ら十人ほどと共にしながら語り合い、引き続き、小諸本部の副本部長である木林隆の家を訪問した。
十一年前に出会った折に、「ぜひ、わが家へ」と言われ、そこで交わした約束を果たしたのである。
夜もまた、地元の会員の代表と次々と会っては懇談した。
対話を重ねることが、生命の大地を耕し、幸の花園をつくりだしていく。