小説「新・人間革命」雄飛 1 2017年6月15日

北京は、うららかな陽光に包まれていた。空港の周囲に広がる、のどかな田園風景が、「北京の春」を感じさせた。
1980年(昭和55年)4月21日の午後2時半(現地時間)、山本伸一たち第5次訪中団一行は、北京の空港に到着した。
この訪中は、伸一が会長を辞任して以来、初めての海外訪問であった。
彼は、これまで民間交流によって築き上げてきた日中友好の金の橋を、いっそう堅固なものにするとともに、21世紀に向かって、平和の大道を広げていこうとの決意に燃えていた。
空港で一行を出迎えた中日友好協会の孫平化(そんへいか)副会長が、伸一に語り始めた。
「北京は、この2、3日、『黄塵万丈』だったんですよ」
「黄塵万丈」とは、強風で黄色い土煙が空高く舞い上がる様子をいう。
「一寸先も見えない状態でした。昨日の夕方、やっと収まったんです。今日は春らしい日和となり、青空も広がりました。大自然も、先生の訪中を祝福しているようです」
今回の中日友好協会からの招聘状には、「春の暖かく花が咲く季節」に一行を迎えたいとあり、まさにその通りの天候となった。
伸一は、束の間、日本国内での学会を取り巻く状況を思った。
宗門の若手僧たちは、異様なまでの学会攻撃を繰り返している。まさに「黄塵万丈」といえる。
しかし、こんな状態が、いつまでも続くわけがない。
これを勝ち越えていけば、今日の青空のような、広宣流布の希望の未来が開かれていくにちがいない
案内された空港の貴賓室には、大きな滝の刺繍画が飾られていた。
これは、黄河中流にある大瀑布で、さらに下ると、竜門の激流がある。
ここを登った魚は竜になるとの故事が、「登竜門」という言葉の由来である。
御書にも、竜門は仏道修行にあって成仏の難しさを示す譬えとして引かれている。
一行は、幾度も激流を越えてきた創価の歩みを思いながら、滝の刺繍画に見入っていた。