【第12回】 前進! 正義の凱旋門へ (2017.6.20)

戸田城聖先生が、軍部政府との2年の獄中闘争を勝ち越え、出獄されたのは、東京・中野であった。
それは、昭和20年(1945年)の7月3日。巡りくるその日を前に、有縁の地へ走り、中野南文化会館を視察した(18日)。
会館には、朝から壮年部が意気軒昂に集われていた。いよいよ黄金柱の出番と「ああ感激の同志あり」を皆で大合唱したと伺った。
王城会の厳護の雄姿も、頼もしい限りである。「父の日に本当に尊いですね」と妻が微笑んだ。
勤行会を行っていた先駆の学生部も元気である。
同会館には、隣接する杉並・方南支部の友も、太陽の婦人部を中心に集まられていた。
方南支部といえば、昭和53年の1月、広布第2章の「支部制」開始に際し、私が結成大会に出席した忘れ得ぬ支部である。
地域に信頼を広げる大発展が、何よりもうれしい。
とともに、創価の凱歌へ師子奮迅の指揮を執る全国の支部長・支部婦人部長、また地区部長・地区婦人部長、ブロック長・白ゆり長をはじめ、リーダーの皆さま方の奮闘が偲ばれる。
御本仏が、広布に献身する偉大な宝友たちを、いかばかり讃嘆されているか。
「釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか」(御書1467ページ)の一節が、胸に迫ってならない。
 
中野南文化会館には、戸田先生が出所した豊多摩刑務所の鉄の門扉が保管されている。同刑務所が取り壊された折、中野の有志が譲り受けてくれたものだ。
恩師の出獄は、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった直後だった。6月23日は「沖縄慰霊の日」である。
“命どぅ宝”――生命こそ最極の宝。これが、恩師も敬愛した沖縄の心だ。
生きて獄門を出た恩師は、民衆が一人一人、仏の生命を最大に輝かせ、この世の悲惨を打ち破っていく「人間革命」の道を開かれた。
最も苦労した人が、最も幸せを勝ち取っていける社会をつくるのが、我らの「立正安国」の戦いである。
その先頭に立つ「平和の勝利島」沖縄の友に、思いを馳せぬ日は一日もない。
 
日蓮大聖人は、「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せである。
この御聖訓通り、恐れなき勇気を、限りない智慧を湧き上がらせて、前進だ。
いざ、正義の凱旋門へ!