小説「新・人間革命」 雄飛 十九 2017年7月6日

三十日、山本伸一は午後一時過ぎに長崎を発って、列車で福岡に向かう予定であった。彼は、その前に、どうしても訪問しておきたいところがあった。
稲佐町にある、壮年部県書記長の大林喜久丸の家である。
一九七三年(昭和四十八年)の三月、北九州市で行われた初の九州青年部総会の折、当時、男子部の長崎総合本部長であった大林と、「長崎に行った時には、必ず君の自宅を訪問させてもらうよ」と約束していたのである。
その話を聞いた大林の母・倭代は、「それを実現できるようにするのが、弟子の信心です。祈りましょう」と毅然と語った。
以来、家族で真剣な唱題が始まった。
彼女は、長崎広布の先駆者の一人であった。
大林の家は、眼下に長崎港を一望する高台にあった。母親の倭代をはじめ、彼の兄、弟、その夫人たちが伸一を迎えた。
皆で記念のカメラに納まり、勤行した。
倭代は、「先生がいつ来られてもいいように」と、手作りの座布団も用意していた。伸一は、その真心に深く感謝しながら、懇談のひとときを過ごした。
話題は、一年前の会長・法華講総講頭の辞任に及んだ。
──そのニュースをテレビで知った倭代は、体を震わせて激怒し、こう叫んだという。
「とんでもないことだ! 何かの謀略です。こんなことを許してはならない」
道理に反すること、恩知らず、広宣流布を破壊する悪は絶対に許さぬというのが、母の信念であった。
威張りくさった僧の横暴にも今に見よ! 正義は必ず勝つ!との思いで、この苦汁の一年を過ごしてきたのだ。
いかなる外圧も、同志の心に滾々と湧く、創価の精神の泉を枯渇させることはできない。
「ありがとう! その精神は、見事に、息子さんたちが受け継いでくれています。
お母さんは勝ったんです。私もこれからは自由に動きます。また長崎にも来ますよ」
語らいを終えた時、地元の女子部の幹部が指導を受けたいと言って訪ねてきた。
伸一は出発時刻ぎりぎりまで、彼女を励ました。