小説「新・人間革命」 雄飛 二十二 2017年7月10日

山本伸一は、五月一日午後、福岡市西区(後の早良区)の九州記念館を訪問。
夜には博多区の九州平和会館での福岡県本部長会に出席し、師子の魂を注ぎ込む思いで訴えた。
「『広宣流布の胸中の旗』を、断じて降ろしてはならない!」
「『折伏の修行の旗』を、決して降ろしてはならない!」
「『一生成仏の、信心の炎の光』を消しては絶対にならない!」
彼は、この言葉を、強く繰り返した。
本部長会には、宗門との問題で最も苦しみ抜いてきた大分県の代表も参加していた。
大分県の別府では、寺の住職が「学会は謗法だ!」などと誹謗中傷を重ねた。
それにたぶらかされて脱会し、学会を批判するパンフレットを配って回る人もいた。
しかし、同志は、そのなかで、団結を固め、毅然として創価の正義を叫び抜いてきたのだ。
伸一は、大分の同志と、平和会館のロビーで記念のカメラに納まった。
「苦労した分だけ、信心は磨かれ、輝きを放つ。あなたたちの戦いは、広宣流布の歴史に永遠に残るよ」
「先生! 大分に来てください!」
皆が口々に言った。その目に涙が滲んだ。
伸一は、深く頷いた。
この福岡滞在中、学会員は、続々と九州文化会館や九州平和会館、九州記念館に集って来た。
「会館に行けば、先生にお会いできる」との話が流れていたのだ。
タクシーや自転車で乗り付ける人もいた。
ジャージー姿のまま家を飛び出してきた人もいた。
二日昼、彼が福岡を発つまでに会った同志の数は二万人を超えた。
出発前、大分県の壮年部書記長の山岡武夫が、平和会館にいた伸一を訪ねてきた。
彼は、県内の住職が学会員の功労者に脱会を唆したという急報を受け、寺に抗議に出向いた。
語らいは深夜に及び、それから列車を乗り継いでやって来たのだ。
攻防戦の渦中にあって、最も大切なのは迅速な行動である。