【第4回】 言論人──希望を贈る賢者  (2017年8月1日)

言葉の力で友を笑顔に!
 
──「未来部躍進月間が明るくスタートしました(831日まで)。メンバーは夏の太陽のように元気いっぱい、勉学に、部活動等に努力を重ねています。
中学•高校の3年生は、 進路を決める重要な時期を迎えています。
池田先生 みんな、よく頑張っているね。活躍の様子は、いつも聞いています。本当にうれしい!
受験生の皆さん、ご苦労さま! ここからが勝負です。
これまで思い通りに勉強が進んでいなくても、今から、いくらでも実力を伸ばしていける。
どうか、健康第一で、「きょうもベストを尽くそう」と、自分らしく思い切り挑戦していってください。
私も妻と、朝な夕な、皆さんの前進と勝利を真剣に祈っています。
 
──伝統の「読書感想文コンクール」「E1ランプリ」も始まりました。
毎年、全国や海外から寄せられる力作に、担当者が感動しながら審査に当たっています。
池田先生 私も毎年、とても楽しみにしているよ。皆さんの力作を拝見すると、希望が広がります。
美しい心、新鮮な発想、あふれんばかりの想像力、豊かな表現力……。いつも感心しています。
何より「応募してみよう」「やってみよう」との、心自体が尊い。チャレンジする一人一人の頭に、私は〝青春勝利の月桂冠〟をかぶせてあげたいんです。
 
──そこで今回は、「書く」ことに携わる職業を取り上げていただきたいと思います。
新聞記者や雑誌編集者、ジャーナリスト、作家等々、「書く」職業はたくさんあります。
また、どんな仕事に就いても、 企画書や報告書をまとめるなど、文章力は必要不可欠です。
池田先生 その通りだね。
幸福な人生とは何か—それは、使命に生きることだ。
我が使命を果たすために戦い抜くことだ。その戦いを勝ち抜く非暴力の武器が「言葉の力」であり、「書く力」です。
私が少年時代になりたいと思った職業は、新聞記者でした。
19歳の夏、戸田城聖先生と出会い、やがて師弟の語らいから聖教新聞が生まれました。
そして私は、先生と共に、書いて、書いて、書きまくり、夢がかないました。全て恩師のおかげです。
言葉には力がある。思いを伝え、心を動かし、共々に人間革命していくパワーが、文字にはあります。
日蓮大聖人は「仏は文字によって人々を救っていく」(御書153㌻、通解)と仰せです。
言葉は、どんな距離も超えて、人と人を結びます。
空間も時間もやすやすと超えて、過去を今に伝え、今を未来へと伝えます。
なかんずく文字には、永遠性の力があります。
一方で、人を傷つける言葉や嘘の言葉もある。
人々の心を引き裂き、惑わす卑劣な言葉も少なくない。
社会を混乱させる言論が存在するのは、まぎれもない事実です。
ゆえに、正義の走者たる皆さんは、邪論を鋭く見破っていく眼を培ってほしい。
戸田先生は、「広宣流布は言論戦」と言われました。
人々を幸福に導く言論、邪悪を喝破していく言論を広げていことが、そのまま世界平和につながっていくのです。
 
──いざ原稿用紙を前にすると、「何を書けばよいか思い付きません」と語るメンバーもいます。「どうしたら上手に文章が書けますか」との質問もありました。
池田先生 いきなり原稿用紙に向かわなくても、携帯電話でもパソコンでも、メモ用紙でも、何を使って書き始めてもいいんだよ。
堅苦しく考える必要はありません。
また、たとえ短くとも、想いを込めた文章は伝わります。
短歌は31文字だし、 俳句は17文字です。
最初から、うまく、長く書こうなんて思わなくていいんだ。
考えすぎないで、まず手を動かして書いてみる。
書いていくうちに、考えも深まる。自分の新しい一面を発見することだってできる。
文章は、書けば書くほど、うまくなります。
 大事なことは一点、心が光っていることです。
文を書こうとすることは、すでに偉大な挑戦なんです。
皆さんが書く文章には、テス卜のような「不正解」はありません。
それぞれが「正解」です。だから人と比ベる必要もないんです。
もし、何も思い浮かばなかったら、本を読んで心に響いた一文を「書き写す」ことから始めてみてはどうかな。
「これはいいな」と思った言葉や文章を、ノートに書き写してみる。
若き日のナポレオンは、「読書の鬼」でした。絶えず本を開き、大切なところはノートに書き写したそうです。
私も青春時代から、日本や世界の名著を読んでは、「書き写し」を実践してきました。
日記を書くことも、良い練習になるよ。
その日にあった出来事や感じたことを、素直に記していけばいい。
自分との対話です。世界中で読まれている『アンネの日記』も「キティー」という自らの分身との語らいでした。
一日を振り返って一言でもつづっていけば、それが自らの黄金の記録になります。
文章を書くことは、自分を励まし、自信を深める力なんだね。
 
──池田先生は若き日、戸田先生のもとで、編集者として働かれました。
池田先生 懐かしい原点です。
戸田先生が経営していた出版社「日本正学館」で、雑誌 「冒険少年」(後に「少年日本」と改題)の編集を担当しました。
若き編集長として〝日本一の少年雑誌を!〟と、全力で取り組んだのです。
連載の企画や、原稿の依頼・受け取り、挿絵の依頼、レイアウトなど、一人で何役もやりました。
作家の都合がつかない時には、「山本伸一郎」のペンネームで、自ら偉人の伝記を執筆したこともありました。
みんなが今、何を読み、求めているのか、直接、子どもたちの意見も聞いて回りました。
未来に生きる子どもたちに、少しでも勇気と希望を送りたい! どんなに疲れていても、子どもたちのことを思えば、カと知恵が湧いてきました。
うれしいことに、「鉄腕アトム」や「火の鳥」などで知られる大漫画家の手塚治虫先生も、「この本(『冒険少年』)からは、何か特別な情熱みたいなものを感じたよ」「『冒険少年』 は、ぜひ描きたい雑誌だった」 と述べてくださいました。
やがて、戦後の経済の混乱の中で、会社が経営不振となって、雑誌は休刊を余儀なくされましたが、この時の経験は、私の文筆活動の礎です。
青春の労苦に、何一つとして無駄はありません。
 
──将来、ジャーナリストを目指すメンバーから「さまざまな情報があふれる現代にあって言論人に大切なことは何でしょぅか」との質問がありました。
池田先生 鋭い質問だね。
何より大切なのは「信念」です。戸田先生は、「信なき言論、煙のごとし」、すなわち信念のない言論は、所詮、煙のように消え去っていくと喝破されました。
最高の信念は、妙法の信仰です。広宣流布に生きる以上の信念はありません。
ゆえに、若くしてこの信仰を持った皆さんは、たとえ自分自身は書くのが不得意だと思っていたとしても、生命の奥底からは、「言葉の泉」が、こんこんと湧き出てくるんです。
そして皆さんが真摯に書き、 語った本物の言論は、必ず時代を動かしていきます。
忘れ得ぬ〝ペンの闘士〟に、 中国の大文豪・巴金先生がいます。
私も4度、語り合いました。先生は世の毀誉褒貶にも揺るがず、幾多の困難をを耐え抜き、勝ち越えました。
作家活動は、70年間に及びました。晩年は、けがや病気で、 握ったボールペンが何キロもの重さに感じたこともあったといいます。
それでも、「私はペンに火をつけて、わが身をを燃やします」と、命懸けの言論闘争を貫き、 一日に200字、300子字ずつでも、毎日、書き続けました。著者の秘訣は「心を読者に捧げることです」と。
誰のために畜くのか、民衆のため、人々の幸福のため、そして全ての母が、全ての子どもが、 笑顔になるために書く。これ以上の正義の言論はありません。
牧ロ先生、戸田先生の言論は、まさに真の正義でした。
苦悩に沈む友を、断じて不幸にしてなるものかという烈々たる信念に貫かれ、どこまでも温かく、慈愛に満ちていました。
だからこそ、悪に対しては鋭く、厳しかったのです。この両先生に、私も続きました。
涼やかな瞳の未来部の友から、「どうして、そんなに、たくさん小説などを書かれるのですか?」と質問を受けたことがあります。
私は、こう答えました。
「それは、人を励ますためです。一人でも読んだ人が励まされるならと思い、私は書くのです」と。
皆さんのお父さん、お母さんのため、そして、君のため、貴女のため、読んでくれる「一人」 のために、その顔を思い浮かべれば、ペンを執らずにはいられません。後継の皆さんは、この師弟の言論戦に続いていってください。
創価の父母たちは、どれほど、いわれのない悪口を浴びせられ、悪らつな嘘を書き立てられたことか。
そうした悪口罵詈など、未来永遠に圧倒していく正義と真実の言論を放っていただきたいのです。
 
──824日は「聖教新聞創刊原点の日」です。
1950年のこの日、戸田先生と池田先生の語らいで、聖教新聞の構想は生まれました。
そして、師弟の闘争で事業の苦境を勝ち越え、 51420日、創刊されました。
池田先生 「聖教新聞を日本中、世界中の人々に読ませたい」それが戸田先生の願いでした。
その願いの通り、聖教新聞は世界の〝セイキョウ〟として愛され、デジタル時代を迎えて地球のすみずみにまで読者を広げています。
今、私は愛する未来部の皆さんに真実の歴史を伝え残すために、小説『新・人間革命』を、 毎日、書きつづっています。
未来部員の中からも、立派な言論人が続々と育ち、世界的な大文豪もか必ずや誕生することを、私は大確信しています。
これからのリーダーは、ますます「書く力」が大切になります。
21世紀のの大指導者に育ちゆく皆さんは、この夏も、夢に向かって、実力を磨いていってください。
日本中、世界中に、皆さんがつづり、語る、希望の言葉を、 今か今かと待ち望む人たちが大勢いることを、心に刻み、思い描きながら!