第三の法門

日蓮大聖人の法門の御正意は、種脱相対の第三の法門にあると申し上げました。しかし、その御正意は世間では、いな当門流においてすら、なかなか理解されなかった。

 『常忍抄(稟権抄)』に、法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候」(981P) とあります。
 大聖人は、“世間ではほぼ夢のように、第一の権実相対と第二の本迹相対までは語られているが、種脱相対の第三の法門は語られていない” とお述べになっています。

 これも、止むを得ないことだと思っています。まず、何といっても立宗の始めであり、新しい大聖人の下種仏法の甚深の奥義を、五老僧と言われる高弟からして解らなかったのである。
 五老僧について、戸田先生のお話 ―→ ここから
 
 大聖人は、新しい文底の法門を説法するのに、既にある法華経の文言を使って表現なさっています。
 たとえば、当時、念仏宗が一国にはびこり、仏といえば阿弥陀仏、経は弥陀の三部経のみ有効という法然の邪義に対して、大聖人は真仏を示すのに、“釈尊・教主釈尊”、法は“法華経妙法蓮華経”という既成の文言を使われて説法されています。これを聞いた弟子たちは、仏を釈迦牟尼仏、法は法華経二十八品であると取ってしまったようである。
 僧侶の多くの者たちは、かつて天台宗学を学んでいたので、その知識が邪魔して、大聖人の下種仏法の真意までは、思い至らなかったようである。
 また、日蓮大聖人もご自身が仏であるとは、決して言っていません。それは「本因妙の仏」であるからです。
 本因妙の仏について、戸田先生の講義 ―→ ここから

 したがって、「南無妙法蓮華経」 についても、法華経の経題である “妙法蓮華経” に、帰命の意味の “南無” を付けて唱えるいる位の認識しかなかった。
 ゆえに、末法において日蓮大聖人は、釈迦の法華経を、三業(身・口・意)で身読し、それを弘めている偉いお坊さんだ、ぐらいしか思っていなかったのである。
 それらの者たちは、「三」 という法数の一致の故か、天台の 「第三の教相」 と大聖人の 「第三の法門」 を混同してしまったのである。

 では、天台の 「三種の教相」 とは、法華経と爾前経との教説の異同を判釈し、法華経が勝れていることを三つの視点から明らかにしたものである。
 一、根性の融(ゆう)不融の相。衆生の機根が融であるか、不融であるかを分別したもの。諸教は衆生の機根が三乗(声聞・縁覚・菩薩)各別であり不融。法華経には迹門方便品第二、譬喩品第三などに、三乗を開いて法華一乗の機に融合されているゆえに融。故に迹門が勝る。 (権実相対)

 二、化導の始終(しじゅう)不始終の相。仏の化導の始めから終りまで説いているか否かを分別したもの。諸経は下種も得脱も明かされてないゆえに不始終。迹門化城喩品第七で、三千塵点劫以来の仏と衆生の因縁を説き、三益(種・熟・脱)を明かしているゆえに始終。故に迹門が勝る。 (権実相対)
 種熟脱の記事 ―→ ここから

 三、師弟の遠近(おんごん)不遠近の相。師弟の関係が久遠以来であるか否かを分別したもの。諸経の仏、迹門の仏までは始成正覚で、師弟も現世の一時的な結縁であり不遠近。本門寿量品第十六で、五百塵点劫・久遠実成を顕本し、それ以来、衆生を教化してきたことを明かしたゆえに遠近。本門が勝る。 (本迹相対)

 「答う第三の教相のごときは仍(なお)天台の法門にして日蓮が法門に非ず、応(まさ)に知るべし、彼の天台の第一第二は通じて当流の第一に属し、彼の第三の教相は即ち当流の第二に属するなり、故に彼の第三の教相を以て若(も)し当流に望む則(とき)は二種の教相となるなり、妙楽云く『前の両意は迹門に約し後の一意は本門に約す』と是れなり、更に種脱相対の一種を加えて、以て第三と為す故に日蓮が法門と云うなり」(六巻抄・13P) 
 
 妙楽大師が云っているように、天台大師は第一・第二の法門、権実相対・本迹相対までしか宣べていない。この 「第三の法門」 は、種脱相対のことであり、これこそ 「日蓮が法門」 であると強調されている。
 この種脱相対、すなわち 「第三の法門」 は、日蓮大聖人独自の法門であるということです。ゆえに、また 「文底独一法門」 とも称されています。