【第4回】 持続の信心――日々、新たな決意で出発 ​(2018.5.9)


小説「新・人間革命」第26巻「奮迅(ふんじん)」の章
 
「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘(あくせんくとう)をつき抜けて! 
決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」
集った青年たちは、伸一の指導の一切を吸収するのだとばかりに、眼を輝(かがや)かせて、耳を澄(す)ましていた。
このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻(きざ)み、暗唱(あんしょう)してきた詩であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。
 
「さあ、出発しよう――とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。
“いよいよ、これからだ”という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概(きがい)です。
信心は持続(じぞく)が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性(だせい)です。
“さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞(こぶ)して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。​​
 
 
悪戦苦闘――これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経(え)なければならない道程(みちのり)なんです。
偉業を成した人は、皆が、迫害(はくがい)、非難(ひなん)、中傷(ちゅうしょう)にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第2代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧(だんあつ)と命(いのち)を懸(か)けて戦われています。
私たちは、その師子の子どもです。勇(いさ)んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」
人生は波瀾万丈(はらんばんじょう)であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。
しかし、その試練(しれん)に挑(いど)み立つ時、自らが磨(みが)かれ、鍛(きた)えられ、強く、大きく、成長していくのだ。
 
山本伸一は、一段と強い語調で語った。
「悪戦苦闘(あくせんくとう)は、われらにとって、避(さ)けがたき宿命的なものです。
しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運(ふくうん)に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。
たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着くことはできません。
その途中には、強風もある。雷雲も発生するかもしれない。
ましてや、われわれは、地涌の菩薩の聖業であり、人生の最極の目的である広宣流布のための戦いを起こした。
悪戦苦闘を覚悟(かくご)するのは当然です。
私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜々(りり)しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」
 
日蓮大聖人の御書から
 
水の流れるような実践を 「上野殿御返事(水火二信抄)」について
 
日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。
聴聞(ちょうもん)する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。
一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固(こころけんご)に、常に水が流れるように、不退(ふたい)の決意と使命感をもって、生涯(しょうがい)、信(しん)・行(ぎょう)・学(がく)を持続し抜いていく人の信心です。
 
私たちが実践するべきは、「水の信心」です。
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。
「たゆまず流れ出(い)ずる水の信心であれ! 溜(た)まり水は、動かないから腐(くさ)ってしまう。
人間も同じだ。進まざるは退転(たいてん)である」と。
私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。