本部幹部会・壮年部幹部会への池田先生のメッセージ 2018年9月2日

創価の師弟は生死を超えた共戦の同志
不退の前進! 「いまだこりず候」と
 
一、ここ鶴見は、私が草創の神奈川の父母たちと広宣流布へ走り、「比類なき同志の団結」を築き広げてきた天地です。
1954年(昭和29年)の9月1日、私は鶴見支部での御書講義に臨みました。
顕仏未来記を学び、「待ちに待った後半の闘争だ。
さあ、この一年を悔いなく勝ち飾ろう!」と出発しました。
そして、その勢いのまま、翌年には新たな「立正安国」の勝利の金字塔を打ち立てたのです。
今日は、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパ、台湾、インド、アフリカ、韓国より、誉れの同志をお迎えすることができました。
尊き求道の旅を、心からねぎらい、熱烈に歓迎するとともに、全世界の創価家族とスクラムを組んで、「栄光」そして「勝利」の大前進を晴れやかに開始しようではありませんか!(大拍手)
 
不撓不屈の師子吼
 
一、本日は我ら壮年部の幹部会でもあります。その記念として、また皆さん方に応援をいただいた小説『新・人間革命』の完結の感謝を込めて、以前に書き留めた三つの書をお贈りします(大拍手)。
「人生不撓乃波」「人生円熟之輝」「生死不退乃心」との揮毫です。
御本仏・日蓮大聖人は、壮年門下の曾谷教信に仰せになられました。
「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と。
戸田先生は、この一節を講義され、声を大にして「これだよ! 『いまだこりず候』だよ。わが創価学会の精神もここにある」と強調されました。
あの「原水爆禁止宣言」も、夕張炭労事件、大阪事件という迫害が打ち続く中で、1957年の9月8日、世界の民衆の生存を脅かす元凶の魔性に対し、いやまして不撓不屈の大精神で轟かせた師子吼であります。
さらに、東西冷戦の真っ只中で、私が「日中国交正常化」を提言したのは、原水爆禁止宣言より11年後の9月8日です。
平和へ、正義へ、人道へ、創価世界市民は、草の根の対話の波を起こし、たゆまぬ行動の波を重ねてきました。
まさに「人生不撓乃波」です。
核兵器の廃絶へ生涯を捧げられたパグウォッシュ会議のロートブラット博士も、我らの行動と連帯に深い信頼を寄せてくださいました。
一人一人が今いる場所から波を起こし、社会を変えていく力を結集することによって、「最後には、民衆が勝利するのです」と笑顔で語られておりました。
 
自行化他の題目を
 
一、若き日、ここ鶴見でも一軒また一軒、家庭訪問に歩いたことは、私の「今生人界の思出」(同467ページ)です。
病魔と闘う実直な壮年には、御聖訓を通して激励を贈りました。
この当時はまだ、創価学会版の御書全集が発刊される前でしたので、御文を手帳に書き記して、一緒に声に出して拝読しました。
それは、四条金吾夫妻への仰せです。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ、これあに自受法楽にあらずや」(同1143ページ)
どんなに苦しくとも、自行化他の題目を唱え抜く生命に、打開できない試練などない。
煩悩即菩提の信心で乗り越えた分、境涯を開き、悩める友や後輩たちを力強く励ませる。
これが人間革命による「人生円熟之輝」です。
この希望の輝きによって、眷属も社会も未来も、赫々と照らし晴らしていけるのです。
今日は、団地部、地域部、勝利島部をはじめ、地域友好・地域広布の黄金のモデルと光るリーダーの皆さん方が出席されています。
いつもいつも使命の最前線で、偉大な負けじ魂の開拓、本当にありがとう!(大拍手)
今、お隣の韓国の釜山では「法華経展」が意義深く開催されております。
法華経の肝要たる寿量品には、「我常在此娑婆世界、説法教化」(創価学会法華経479ページ)とあります。
仏は常に、生死の苦悩が渦巻く娑婆世界に在って、衆生のために妙法を説法教化すると示されております。
創価の師弟は、皆、久遠元初より、御本仏に直結する広宣流布の「誓願」を立て、この末法濁悪の娑婆世界に勇んで躍り出ました。
まぎれもなく、三世永遠の絆で結ばれた正義と共戦の同志なのであります。
 
広布の誓願を貫く
 
一、1964年の12月2日、小説『人間革命』を沖縄で書き起こした日、私は凜々しき学生部の英才たちと固い握手を交わしました。
皆、立派な広布と社会の指導者に大成してくれました。
その中の一人で、「この世で果たさん使命」を成し遂げ、多くの青年を育てて亡くなった沖縄健児は、生前、語っていました。
「次も沖縄に生まれてきたい。そして、広宣流布のために師弟で戦い勝って、愛する沖縄に、みんなの『人間革命』の大歓喜の舞を踊り広げたい」と。
生死を超えて広布の誓願を貫く「不退乃心」ほど、強いものはありません。
大聖人は、健気な母の「不退乃心」を讃えられつつ、「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)と断言されました。
大聖人から「世界広布」と「立正安国」を託された地涌の菩薩の我らです。
命の限り、「生死不退乃心」を燃やして、一人一人が朗らかに「円熟之輝」を放ちながら、人類の幸福と平和へ人間革命の「不撓乃波」を、いよいよ万波と起こしていこうではありませんか!
全同志の健康長寿と一家和楽の「人生の旅」を、そしてまた各国・各地の無事安穏と平和繁栄の大行進を祈りに祈って、私のメッセージといたします(大拍手)。
 
 
 
 
 
世界広布新時代第37回本部幹部会」が1日午後、「全国壮年部幹部会」の意義を込めて、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂で意気高く開催された。
これには、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表、来日した14カ国・地域のSGI(創価学会インタナショナル)の友と出席した。
池田大作先生はメッセージ(3面に掲載)を贈り、全世界の創価家族の前進を心から祝福。
日蓮大聖人から「世界広布」と「立正安国」を託された地涌の菩薩として、命の限り、「生死不退乃心」を燃やし、一人一人が朗らかに「円熟之輝」を放ちながら、人類の幸福と平和へ、人間革命の「不撓乃波」を、いよいよ万波と起こしていこうと呼び掛けた。
 
方面・県壮年部長会 2018年9月2日
 
我ら広布の黄金柱!
方面・県壮年部長会が1日午後、本部幹部会・全国壮年部幹部会に続いて、神奈川池田記念講堂で行われた。
小林知明さんが徹底して訪問・激励に走る総愛知壮年部の取り組みを通して、広布の最前線が活気に満ちた模様を報告。
谷川壮年部長は学会の“黄金柱”の使命を自覚し、私たちから新たな広布拡大の波動をと訴えた。
原田会長は勝利の実証を示す壮年部員の活躍こそ、広布を大きく進める力であると強調。
「壮年が決然と立ち上がり、自身の姿で広布後継の人材を陸続と育てゆこう」と呼び掛けた。
 
 
 
 
9月度本部幹部会で紹介された池田先生の指針
 
 
本部幹部会で紹介された池田先生の指針 師弟は不二であれ! 師の真実に生きよ 2018年9月17日
 
恩師の魂大切な仏子を一人残らず幸福に
広布の一切の責任を担い立て
愚人にほめられたるは第一の恥
大聖にほめらるるは一生の名誉
 
「世界広布新時代第37回本部幹部会」(1日、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂)の席上、1991年10月の関西総会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟共戦の心で、新たな人間革命の歴史を刻みゆく友の指針として掲載する。
 
一、大変にご苦労さま! また、祝賀の集い、本当におめでとう!
 
一、私が『人間革命』の執筆を決意したのは、戸田先生の「真実」を、正しく後世に伝えたい、残しておかねばならないとの思いからであった。
戸田先生の弟子と名乗る人は多かった。また、戸田先生にお世話になり、直接、指導を受けた人も数多くいた。
にもかかわらず、戸田先生の死後、師敵対して、学会に反逆する者も出ている。
それは、戸田先生の「真実」を知る人が極めて少なかったことを物語っている。
事実と真実――これほど判別の難しいものもない。人間の目に映った「事実」が、必ずしも「真実」を表しているとは限らないからである。
「事実」は、ある意味で、だれにでも見える。しかし「真実」は、それを見極める目を磨かなくては、決して見抜くことはできない。
 
悠然たる心
一、こんなエピソードがある。
戦前のことだが、初代会長の牧口先生が一生懸命に講義をされているのに、理事長の戸田先生は、よく将棋をさしていたというのである。
周囲の人は、それを見て、「会長は講義、理事長は将棋」と陰口を言い、「不遜極まりない、傍若無人な振る舞いである」と非難した。
しかし、そこには、戸田先生の深いお考えがあった。
当時、厳しく罰論を説く牧口先生についていけず、一部に離れていこうとする人々もいた。
そこで戸田先生は、悠々と将棋をすることで、学会の自由さを示しながら、雰囲気をなごませ、励まし、退転への防波堤となっておられたのである。
そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。
だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決して咎めようとはされなかったのである。
 
境涯で決まる
一、また、戦後、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時のことである。莫大な負債。会社は倒産。給料も、もらえない。人々も去っていった。
しかし、そのさなかで、先生は私に言われた。「大作、大学をつくろう、創価大学をつくろうよ。いつごろつくろうか」と――。
他の人が聞いたら、何を“ほら話”をと思ったであろう。
苦境という「事実」はどうあれ、この悠然たる心に、先生の「真実」があった。その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信――私は知っていた。私は忘れない。
だが、その先生を、「ペテン師」「詐欺師」と非難する者は多かった。一時の姿のみで、先生を悪人と決めつけたのである。
先生は、まったく弁解されなかった。そうした人々とは、あまりにも「次元」が違っていた。「境涯」が、人間としての「格」が違っていた。
 
一、「事実」といっても、一断面のみ見れば、「真実」とまったく違った様相を呈する場合もある。
また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。歪んだ鏡には、すべてが歪んで映る。歪んだ心の人には、一切が歪んで見えてしまう。物事を見極める眼力――それは、自らの「境涯」で決まる。
御書に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(237ページ)と。また戸田先生も、この御聖訓を拝して、「大聖にほめらるるは一生の名誉なり」と言われていた。
 
使命の生涯を
一、戸田先生の「真実」とは何か。
結論して言えば、「広宣流布あるのみ」――ただそれしかなかった。そして、「広宣流布」を進めゆくための「創価学会」を築き、守りぬいていく以外にない――ここにこそ、先生の「真実」があった。
そして「大切な仏子を、一人残らず幸福にさせたい」との一念――先生のお考え、行動の一切は、そこに発し、そこに尽きていた。もとより、相手の地位や名声、財産など、まったく眼中になかった。
ある時は、阿修羅のごとく悪を砕き、ある時は、大海のごとき慈愛で同志を包んでくださった――ただ一人、広布の前進を担われた先生であられた。
 
一、私は、19歳の夏、先生とお会いした。1年数カ月後、21歳からは直接、先生のおそばで働いた。365日、朝から夜中まで、懸命にお仕えした。
――「真実」を知るためには、多面的に「事実」を多く知ることも、その一つの前提となろう。
なかでも、その人物が、「最悪の事態のなかで、何をなしたか」を見極めることが肝要であろう。
人物の真価は窮地にあってこそ、明らかとなる。
その意味で私は、先生を、あらゆる面で、つぶさに見てきた。先生の「真実」を、魂の奥底に刻んできた。
 
一、私は「先生の行くところ、どこまでも行く。先生とともに生き、先生の目的のために死のう」と決めた。弟子として先生の志を受け継ぎ、広宣流布の一切の責任を担いゆかんと決めた。
その時から、先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心に映じはじめた。師の真の偉大さ、すばらしさを、胸中深く焼き付けることができた。
また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信した。
私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりである。師弟の心は、どこまでも「不二」でなければ、仏法の生命はない。
 
最後に、尊き使命の生涯を、ともどもに、見事に「満足」で飾っていただきたい、と申し上げ、本日のスピーチとします。
ありがとう! お元気で!