【第40回】末法弘通の功徳は無量 (2018.10.24)


極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか
 (報恩抄、329ページ)
 
(通解)
極楽浄土での百年の修行の功徳は、汚れたこの国土での一日の修行の功徳に及ばない。正法、像法2000年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。
 
同志への指針
濁世の末法において妙法を弘めることは、難事中の難事である。
その中で、地涌の使命を果たしゆく功徳が、どれほど大きいか。
仏法上の苦労には一つも無駄はない。厳しい環境の中で祈り抜き、学会活動に挑戦していくことは、全て無量無辺の「心の財」となる。
人間革命も、宿命転換も、「穢土の一日の功徳」によって勝ち開いていくのだ。