「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第2巻

第2巻 名場面編  (2018.11.14)
 
「先駆」の章
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「名場面編」。
心揺さぶる物語の名場面を紹介する。
 
師の偉業を永遠に
〈沖縄を初訪問した山本伸一は1960年7月18日、南部戦跡を視察し、摩文仁丘に立つ〉
戸田城聖の起こした平和の大潮流は、慟哭の島・沖縄にも広がり、友の歓喜は金波となり、希望は銀波となったのである。
山本伸一は、その師の偉業を永遠に伝え残すために、かねてから構想していた、戸田の伝記ともいうべき小説を、早く手がけねばならないと思った。
しかし、彼には、その前に成さねばならぬ誓いがあった。
戸田の遺言となった三百万世帯の達成である。
伸一は、それを戸田の七回忌までに見事に成就し、その勝利の報告をもって、師の伝記小説に着手しようとしていた。
戸田は「行動の人」であった。
ゆえに弟子としてその伝記を書くには、広宣流布の戦いを起こし、世界平和への不動の礎を築き上げずしては、戸田の精神を伝え切ることなどできないと彼は考えていた。
文は人である。文は境涯の投影にほかならないからだ。
伸一は、戸田の七回忌を大勝利で飾り、やがて、その原稿の筆を起こすのは、この沖縄の天地が最もふさわしいのではないかと、ふと思った。
彼の周りに、見学を終えた友が集まって来た。伸一は、沖縄の友に語りかけた。
「かつて、尚泰久王は、琉球を世界の懸け橋とし、『万国津梁の鐘』を作り、首里城の正殿に掛けた。
沖縄には平和の魂がある。その平和の魂をもって、世界の懸け橋を築く先駆けとなっていくのが、みんなの使命だよ」 (「先駆」の章、86~87ページ)
 
“行き詰まり”との闘争
〈60年7月22日、東京・台東体育館での第2回婦人部大会で、行き詰まりとの闘争について語る〉
伸一の話は、青春時代の自分の体験に及んだ。
「戸田先生が事業の再建のために苦闘されていた時代が、私にとっても、最も苦しい時代でした。
健康状態も最悪であり、給料は遅配が続き、無理に無理を重ねていました。
そして、先生とお会いしていた時に、つい弱音を口にしてしまったことがありました。
その時、先生が、厳しく言われた言葉が忘れられません。
『伸一、信心は行き詰まりとの永遠の闘争なんだ。魔と仏との闘争が信心だ。それが“仏法は勝負”ということなんだ』
人生には、誰でも行き詰まりがあります。
事業に行き詰まりを感じている人もいるかもしれない。
夫婦の関係にも、行き詰まってしまうことがあるでしょう。
子育てでも、人間関係の面でも、あるいは、折伏や教学に励んでいる時も、行き詰まりを感ずることがあるかもしれません。
しかし、御本尊の力は広大無辺であり、宇宙大であります。
ゆえに、私たちの生命も、無限の可能性を秘めています。
つまり、問題は私たちの一念に、行き詰まりがあるかどうかにかかっています。
それを本当に自覚した時には、既に勝利の道が開かれているんです。
もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。
戸田先生は、それが私たちにとっての『発迹顕本』であると言われたことがあります。
(中略)何か困難にぶつかったならば、行き詰まりとの“闘争”だ、障魔との“闘争”だ、今が勝負であると決めて、自己の宿命と戦い、勇敢に人生行路を開いていっていただきたいのであります」  (「錬磨」の章、96~99ページ)
 
対立の壁を超えて
〈60年7月30日、千葉・犬吠埼での「水滸会」野外研修で、青年たちの質問に答える〉
一人の青年が尋ねた。
「東西両陣営の対立は、ここに来て、ますます深刻化しつつありますが、これは日蓮大聖人が仰せの、自界叛逆難の姿ととらえることができますでしょうか」
「私(山本伸一=編集部注)も、そう思います。
交通や通信の発達によって、現在の世界は狭くなった。もはや地球は一つの国です。
そう考えていくと、東西の対立は、日蓮大聖人の時代の自界叛逆難といえます。
仏法を持った私たちが、世界の平和のために、民衆の幸福のために立ち上がらねばならない時が来ているんです。
イデオロギーによる対立の壁を超えて、人間という原点に返るヒューマニズムの哲学が、これからの平和の鍵になります。それが仏法です」 (中略)
「いかに制度や環境を整えたとしても、人間の悩みを克服し、向上心や自律心を培うといった、内面の問題を解決することはできません。
もし、宗教をいつまでも排斥していけば、精神の行き詰まり、荒廃を招くことになります。
ゆえに、人間の精神をいかに磨き、高めていくかを真剣に考えるならば、真実の宗教の必要性を痛感せざるをえないでしょう。
そのためにも、大事なことは各国の指導者との対話だと私は思っている。
対話を通し、信頼と共感が生まれれば、自然に仏法への眼を開いていくことになります。
三十年もたってみれば、今、私の言ったことの意味がよくわかるはずです」  (「錬磨」の章、126~128ページ)
 
日頃の振る舞い
〈60年11月9日、甲府支部結成大会後の懇談会で、女子部の友に励ましを送る〉
女子部の幹部が質問した。
「私の母は信心していないので、家に帰り、母と顔を合わせると、歓喜が薄らいでしまいます。どのようにすればよいでしょうか」
「家のなかを明るくするために信心しているのに、あなたが暗くなってしまったら、意味がないではありませんか。
また、お母さんを信心させたいと思うなら、あなた自身が変わっていくことです。
『そもそも仏法とは……』などと、口で偉そうに語っても、お母さんから見れば、いつまでも娘は娘です。
ですから、そんなことより、お母さんが、本当に感心するような、優しく、思いやりにあふれた娘さんになることの方が大切です。
たとえば、本部の幹部会で東京に行った時など、お土産を買って帰るぐらいの配慮が必要です。
また、家に帰ったら、『ただ今帰りました。ありがとうございました』と、素直にお礼を言えるかどうかです。
信心といっても、特別なことではありません。あなたの日頃の振る舞い自体が信心なんです。
お母さんから見て、“わが子ながら本当によく育ったものだ。
立派になった”と、誇りに思える娘になれば、必ず信心しますよ。
お母さんの心に、自分がどう映るか──それが折伏に通じるんです」  (「勇舞」の章、209~210ページ)
 
約束は必ず守る
山本伸一が父親として常に心がけていたことは、子どもたちとの約束は、必ず守るということだった。 
伸一は、せめて年に一、二度は、一緒に食事をしようと思い、ある時、食事の約束をした。
しかし、彼は自分がなさねばならぬことを考えると、そのために、早く帰宅するわけにはいかなかった。
そこで、学会本部から車で十分ほどのレストランで、ともに夕食をとることにした。
 しかし、その日になると打ち合わせや会合が入り、取れる時間は、往復の移動も含めて、二、三十分しかなかった。
だが、それでも伸一はやって来た。ものの五分か十分、一緒にテーブルを囲んだだけで立ち去らねばならなかったが……。
親子の信頼といっても、まず約束を守るところから始まる。
もちろん、時には守れないこともあるにちがいない。
その場合でも、なんらかのかたちで約束を果たそうとする、人間としての誠実さは子どもに伝わる。
それが“信頼の絆”をつくりあげていくのだ。
峯子は、足早に去っていく伸一を見送ると、子どもたちに言った。
「パパは、来ることなんてできないほど忙しかったのに、約束を守って、駆けつけてくださったのよ。よかったわね」
まさに、子育ての要諦は夫婦の巧みな連係プレーにあるといえよう。  (「民衆の旗」の章、329~330ページ)
 
2巻 御書編      (2018.11.21
 
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「御書編」。
小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の「私の読後感」を紹介する。
 
次代の世界は青年の双肩に​
【御文】
 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(御書232ページ、開目抄)
【通解】
つまるところ、諸天善神も日蓮を見捨てるなら見捨てよ。諸難に遭うなら遭おう。身命をなげうっていくだけである。
 
・小説の場面から
196053日、第3代会長に就任した山本伸一は、恩師の遺言である「300万世帯」の達成を目指して戦いを開始。
同月10日に開催された男子部の幹部会で師子吼する〉
 
私はこの御聖訓を胸に、最後まで、諸君とともに戦い、諸君とともに苦しみ、諸君とともに悩み、そして広宣流布即世界の平和のために、一生を捧げてまいる決意でございます。
かつて、戸田城聖先生は、「青年は国の柱である」「青年は日本の眼目である」「青年は日本の大船である」と指導されましたが、日本の未来も、世界の未来も、青年の双肩にかかっている。
なかんずく、仏法という最高の生命哲理を持った諸君こそ、混迷する社会を開き、次代の世界を担う柱であると、強く確信するものであります。
そして、新たな社会の建設のためには、一人ひとりが、科学、経済、教育、政治などあらゆる分野で、一流の人材に育っていかなくてはなりません。
また、狭い日本だけにとらわれるのではなく、広く世界に雄飛し、人類の幸福と平和のために貢献していくことが、諸君の使命であります。
 (中略)
私は、皆さん方を、心から信頼しております。
もしも、私が倒れることがあったならば、青年部の皆さんが、私の意志を継いで、広宣流布に邁進していっていただきたいと思います。(「先駆」の章、3133ページ)
 
“喜び勇む”一念が福運の源泉
【御文】
仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(御書383ページ、一生成仏抄)
【通解】
仏の名号を唱え経文を読み、華を散らし香をひねるに至るまでも、全て自分の一念に納まった功徳善根であると信心を取るべきである。
 
小説の場面から
1960年7月、男子部の人材グループ「水滸会」の野外研修が千葉の犬吠埼で開催された。
質問会で、この御文を実践のうえで、どう拝すべきかと問う青年に、伸一が答える〉
この御聖訓は、御本尊にお仕えする姿勢、また、いっさいの広布の活動への一念の在り方を説かれたものです。
結論していえば、広宣流布につながることは、すべて大功徳、大福運を積んでいくことになるのだと確信していくことです。
そこには、当然、喜びと感謝があります。不平不満や文句など出るわけがない。
私もその思いで信心をしてきました。どんなに苦しく、大変な課題も、喜び勇んで挑戦してきました。
戸田先生のもとで、広布のために必要とあれば、仕事をやり繰りし、どこへでも飛んで行きました。
交通費が工面できなければ、歩いてでも行くつもりでした。それが今日の私の功徳、福運の源泉であると思っています。
たとえば、広布のために、遠く離れた極暑や極寒の地で、生涯、暮らさなければならないとなった時に、喜び勇んで行けるかどうかです。
その精神と実践がなければ、広宣流布という未聞の大偉業を成し遂げることなど、できるわけがありません。
そして、その厳然たる信心のなかに、三世永遠の大功徳、大福運を積む道があるのです。 (「錬磨」の章、1281299ページ)
 
ここにフォーカス/「当起遠迎、当如敬仏」の実践
 
「錬磨」の章に、法華経の普賢品に説かれる「当起遠迎、当如敬仏(とうきおんごう、とうにょきょうぶつ)」との言葉が登場します。
「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」と読みます。
日蓮大聖人は、これを「最上第一の相伝」(御書781ページ)と仰せです。
この法華経の八字の精神は、「広布に生き抜く同志を、仏のごとく敬い、大切にする」ことにあります。
『新・人間革命』を繙くと、山本伸一が常に同志を敬い、皆のことを考え、行動していることが分かります。
2巻でも随所に、その光景が描かれています。
「先駆」の章で、沖縄を初訪問した伸一は、支部結成大会の祝賀の集いで、苦労を重ねてきた同志を心からねぎらおうと、「黒田節」を舞います。
「先生、もっと踊ってください」との声に、「踊りましょう。
皆さんが喜んでくれるなら」と、さらに舞い続けます。
「民衆の旗」の章では、大分支部の結成大会終了後、伸一が役員の青年たちを激励するシーンがあります。
朝から場外などで整理にあたっていたメンバーでした。伸一は、感謝の思いを込めて励まし、“十年後を目指して”と未来への指針を示しました。
いついかなる時も、同志の幸福を祈り、仏に尽くす思いで、誠実に、全力で励ましを送る。この伸一の行動こそ、私たちが受け継がなければならない「学会の魂」です。 ​​​
 
第2巻 解説編    (2018.11.28)
紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
1.組織とリーダーの在り方
2.自然災害への対応
3.民衆の側に立つ宗教
 
沖縄・恩納村にある景勝地「万座毛」(1997年2月、池田先生撮影)。
第2巻の「先駆」の章では、第3代会長に就任した山本伸一が沖縄を初訪問し、支部を結成する模様が記されている
               
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「解説編」。
池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
次回は、第3巻の「基礎資料編」を12月5日付に掲載予定。(第2巻の「基礎資料編」は11月7日付、「名場面編」は14日付、「御書編」は21日付に掲載)
 
『新・人間革命』第2巻について、三つの視点で述べたいと思います。
1点目は、「組織とリーダーの在り方」という点です。
第2巻は、山本伸一が第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日から、同年12月までの国内における激励の様子を中心に描かれています。
具体的には、北は北海道から南は沖縄まで、各地を回り、自らが率先して一人一人に励ましを送っています。
その激闘によって、わずか8カ月で、会長就任直前の61支部から124支部へと、学会は発展しました。
「先駆」の章では、男子・女子・学生部に限りない期待を寄せ、「錬磨」の章では、婦人部大会で「行き詰まりとの闘争」について語っています。
そこには、今の私たちにとっても、大切な指針となる指導がつづられています。
こうした激励の中、第2巻で特に言及されているのが、「組織とリーダーの在り方」です。
「先駆」の章では、「組織は、信・行・学を間違いなく加速させていく道である。
また、人びとが、安心して伸び伸びと大樹に成長していく、大地であらねばならない」(14ページ)と、学会の組織は一人一人の信心の成長のためにあると述べられています。
また、「いかなる運動も、絶えず“なんのため”かという根本目的に立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ」(22ページ)と、リーダーが“なんのため”を問うことを忘れた時、空転が生じることを指摘しています。
「勇舞」の章では、「学会の役職は名誉職ではなく、責任職である」(182ページ)と述べられ、「仏法は勝負です。常に障魔との戦いです」(187ページ)とあります。
この障魔を破るのが、リーダーの確信の祈りであり、一念であると強調されています。
伸一が会長に就任した60年は、急速に組織が発展した年です。
その中で、支部のリーダーたちは、伸一の振る舞いを通して、自らがどうあるべきかを学んでいきました。
その核心が「同志を、会員を守り、励ます」(240ページ)という点です。この一点を、私たちも決して忘れてはなりません。
発展している組織というのは、「日々革新」している組織です。リーダーの自己変革の意識が希薄になり、“戦う魂”を失った時、組織は官僚化していきます。
広布のリーダーは「どこまでも思いやりにあふれ、(中略)奉仕の人でなければならない」(316ページ)との指導を心に刻んでいきたい。
 
「立正安国」の必要性
2点目は、「自然災害への対応」ということです。
今年は大阪北部地震(6月)、西日本豪雨(7月)、北海道胆振東部地震(9月)、台風の上陸など、多くの自然災害が発生しました。
第2巻では、60年5月のチリ地震津波(38ページ)、59年9月の愛知・三重県を中心に甚大な被害を及ぼした伊勢湾台風(151ページ)について言及されています。
チリで大規模な地震があったことをニュースで知った伸一は、深夜に何度か目を覚まし、ラジオのスイッチを入れます。
それほど、現地の被害を憂慮し、津波の心配をしたのです。
伸一は本部で、次々と被災地に見舞いと激励の電報を打ち、最も被害の大きい地域に幹部を派遣することを決めます。
さらに、災害対策本部を設け、救援活動を行うよう指示します。
一旦緩急の時に、どのように行動するのか──そこに、その人の責任感が表れます。
こうした迅速な対応に比べ、当時の政府の対応は極めて遅いものでした。
この時、伸一は日蓮仏法の本義である「立正安国」の必要性を痛感します。
また、「錬磨」の章では、伊勢湾台風の折、伸一が次々と救援活動の手を打ち、
さらに、自らも被災地へと向かい、同志を激励する様子が描かれています。
「大変なことになりましたが、全国の同志が、再起を願い、お題目を送っています。今が正念場です。
見事に信心で乗り越えてください」(156ページ)
「家が壊され、家財が流されても、信心が壊れなければ、必ず蘇生することができます。
信心をしっかり貫いていけば、必ず立ち直ることができるんです」(同)
被災した方々への激励と、当時の救援活動は、現在の学会の自然災害への対応の原点とも言えるでしょう。
 
師子王のごとく
最後の3点目が、「民衆の側に立つ宗教」です。
第2巻が掲載されたのは、94年6月から12月末です。
この年、学会は「創価ルネサンス・栄光の年」と掲げています。
91年11月、学会は宗門から「魂の独立」を果たし、世界宗教へ雄飛しました。