【第 1回】​ そもそも法華経って何? ​​ (2018.12.4)
すべての人を幸福に――
宇宙と生命の「根源の一法」を説き明かした「諸経の王」
「入門編」(毎週火曜日付に、全4回にわたって掲載の予定)では、法華経のエッセンスを紹介します。
第1回は「そもそも法華経って何?」です。
◼︎万人成仏のため
法華経ってそもそも何?――そう聞かれた時、なんて答えれば……。
簡潔(かんけつ)に答えるならば、法華経は「諸経の王」です。
こう説明されても、ピンとこない人もいるでしょう。
まずは、法華経が誕生するまでの、簡単な歴史を追ってみます。
そして、己心に、宇宙と生命を貫く根源の一法が具わることに目覚めました。
そこから、「目覚めた人」を意味するブッダ(覚者)と呼ばれるようになります。
釈尊は、万人の救済を目指し、覚った法を、相手に合わせて、自在に説いていきました。
そして入滅が迫った時、遺言として語ります。「
どこまでも、「自己」と「法」をよりどころとしていくことを、弟子に言い残したのです。
弟子たちは、釈尊の教えを伝承しながら、自己と法を探求する中で、さまざまな説法を整理・編集し、経典としてまとめていきます。
このことを仏典結集といいます。
こうした仏典編纂の流れの中で、自らの覚(さと)りだけを求める生き方ではなく、自他共の幸福を求める菩薩の生き方を探求していったのが大乗仏教です。
その中にあって、釈尊の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を根幹(こんかん)とする教えを継承・発展させ、すべての人に尊極の仏性が具わることを明かし、その仏の生命を開き現す道を説いたのが、大乗仏教の精髄である法華経なのです。
◼︎根本の教え
多くの仏教経典があるなかで、差別なく、一人も残らず成仏できると説いているのが、法華経です。
仏がこの世に出現した目的は、生きとし生けるものを成仏させることです。
とは言っても、法華経以外の経典も、もちろん仏の説いた教えです。
他の経典は、万人成仏を実現するための根源の一法である妙法を教えるために、相手の機根や時などに応じて、部分的に説いた教えといえます。
ですから、勝劣や高低といった見方に加えて、法華経との関係を部分と全体の関係としてみていかなければなりません。
他の経典であっても、法華経によって捉(とら)え直(なお)していくと、それぞれの教えを統一し、生かしていくことができます。
その意味からも、法華経は「諸経の王」と呼ばれています。
その極理(ごくり)は一つであっても、その時代の衆生の仏縁(ぶつえん)の浅深厚薄(せんしんこうはく)によって、種々の差別があるのである。
世間一般の人々で、少し仏教を研究した人々は、法華経を説いた人は釈迦以外にないと考えている。
それぞれの時代に、仏が自(みずか)ら覚知(かくち)した成仏の法を説いたということです。
それらは、表現に種々の違いがあっても、すべて法華経です。
すべての仏にとって法華経こそが究極の普遍的な教えなのです。
池田先生は言われています。
「すべての民衆を救うために説かれた仏法です。女性と男性に差別はない。出家と在家の違い、人種、学歴、あるいは権力、経済力など、どんな社会的立場も関係ない。
当然のことです。
仏法は、だれのために説かれたか――むしろ差別され、虐げられ、“最も苦しんだ”人々をこそ、“最も幸福に”輝かせていく。それが仏法の力であり、法華経の智慧ではないだろうか」(『法華経の智慧』普及版〈上〉「序論」)
万人成仏の根源の一法を解き明かしたのが、諸経の王である法華経です。
そこには、すべての人を幸福と勝利に導く、仏の智慧(ちえ)が燦然(さんぜん)と輝いているのです。
池田先生は、「核心となる釈尊直説の思想が、編纂当時の時代状況、思想状況に応じて、一つの形をとったと考えられます。
『感応道交(かんのうどうこう)』(仏と衆生が互いに通じあうこと)です。
普遍的な思想とは、そういうものです。真実の思想の生命力と言ってもいい。
形態は新たになったとしても、時代状況のなかでは、それが、より、その思想の『真実』を表しているのです。
無力感を打ち破る「心の秘宝」
法華経以外の哲学は、生命の法の「片端片端」すなわち部分観を説いたにすぎない。
それらは「部分的真理」ではあっても、それを中心とすることは、生命全体を蘇生(そせい)させることにはならない。
かえって、歪みを生じてしまう。これに対し、法華経はそれらを統一し、きちんと位置づけ、生かしていく「根源の一法」を説いているのです。
法華経は、無力感を打ち破る宇宙大の「心の秘宝」を教えている。宇宙の大生命を呼吸しながら、はつらつと生きる人生を教えている。
自己変革という真の大冒険を教えている。
法華経には、万人を平和へとつつみ込む大きさがある。
絢爛(けんらん)たる文化と芸術の薫りがある。いつでも「常楽我浄」で生き、どこでも「我此土安穏(我が此の土は安穏にして)」で生きられる大境涯を開かせる。
法華経には、邪悪と戦う正義のドラマがある。
疲れた人を励ます、あたたかさがある。
恐れを取り除く勇気の鼓動がある。
三世を自在に遊戯(ゆうぎ)する、歓喜の合唱がある。
自由の飛翔(ひしょう)がある。 (普及版〈上〉「序論」)
鳩摩羅什(くまらじゅ) 仏の覚りをそのまま伝える名訳者
幼い頃から各地を修学し、仏教を学びます。
その数は、74部384巻ともいわれています。
羅什は死期が近づいた時、“私の翻訳に誤りがなければ、私の身を焼いても、舌は焼けずに残るだろう”と予言しました。
その通り、舌は焼けなかったといいます。
伝えていると仰せです。