池田先生と熊本 (2019.3.8)


創価の師弟に「越せない坂」はない
 
8112月、池田先生が熊本を訪問。
宗門の迫害に耐え抜いた同志を励ました(1215日、熊本文化会館〈当時〉
 
人材の城を築け
池田先生と熊本の同志を固く結ぶ歌がある。
西南戦争の激戦地・田原坂熊本市北区)での激闘を歌った「田原坂」。
先生が初めて熊本を訪れたのは1968年(昭和33年)11月。
以来、この歌を通し、広布と人生の坂を越えよと訴えてきた。
先生は、難攻不落(なんこうふらく)の名城・熊本城に触れて、語っている。
加藤清正(かとうきよまさ)は、築城の名将とうたわれた人です。
私たちは、人材の城を築くのです。勝とう! 清く! 正しく!」
そして「田原坂」の歌詞を通して呼び掛けた。
「越すにこされぬ田原坂──ここのところが大事なのです。
広布の戦は越せなかったら退転です。どんなことがあっても、たとえ一人になっても越すのです」
81年(同56年)12月、先生は、邪宗門の悪僧や反逆者らの攻撃に耐え抜いた熊本の同志のもとへ。
熊本文化会館(当時)近くの壱町畑公園で「田原坂」を共に大合唱し、師走の空に1,500人の師弟勝利の万歳が轟(とどろ)いた。 
先生は、この時の真情を随筆につづっている。
嫉妬(しっと)と陰湿(いんしつ)な謀略(ごうらく)を抱(いだ)ける坊主らに、最も苦しめ抜かれた地である。
その悔(くや)しさをはね返すために、雄々しき熊本健児は、わが熊本文化会館のそばの、壱町畑(いっちょうはたけ)公園に集まった。
 
 雨はふるふる 人馬はぬれる
 越すにこされぬ 田原坂
 
 右手に血刀 左手に手綱
 馬上ゆたかな 美少年
 
 天下取るまで 大事な身体
 蚤にくわせて なるものか
 
私は深く決意した。
この尊き同志たちを、“蚤(ノミ)”にも劣(おと)る邪険な奴らに食わせてなるものかと。
雄渾(こんしん)なる魂の熊本の同志たちは、邪悪な坊主たちによる“険難の田原坂”を、堂々と勝ち越えていった。
悔し涙に濡れた頬は、今、笑顔に光っていた。戦いは断固として勝たねばならぬ。
 
最後は必ず勝つ
この熊本訪問の折、先生は阿蘇の白菊講堂(当時)へ。
「苦労をかけたね。さあ、戦闘開始だ!」と、一人一人を全身全霊で励ましていった。
講堂の上空には、先生を迎えるように、三つの凧(たこ)が舞っていた。
凧を揚げた高等部員には、「君も、未来の大空を悠々と舞ってください」と。
難病の筋ジストロフィーのため、車いすに乗っていた高等部員には、体をさすりながら「強く生きるんですよ。
使命のない人はいません。自分に負けない人が勝利者です」と、勇気の火をともした。
さらに女子部には、純粋な信心をたたえて「白菊の その名の如き 乙女等が茜(あかね)の夕日に 瞳ひかりぬ」と和歌を。
熊本文化会館で開かれた自由勤行会(811215日)では、いかなる坂をも越えゆく師弟の魂を訴えた。
安穏な人生、必ずしも幸福とは言い切れない。
また、安穏にみえても、人は何かに必ず悩みがあるものである。
そのさまざまな悩みを、幸福への発条にし、偉大なる人生へと転化できるところに信心の素晴らしさがあるのだ。
万策尽きて、生活や人生に敗れることがあったとしても、我々には大聖人という、永遠にして成仏への根本の師匠がおられる。
また、御本尊がある。信心さえ破られなければ、師弟不二の原理から最後は必ず勝つのである。
人生には、いろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つ一つ乗り越えていくのが人生であり信心である。
 
信心の「一念」
90年(平成2年)9月、熊本平和会館での熊本・大分合同の集い。先生は「男子部はいるかい?」と。
「はいっ!」と勢いよく立ち上がった男子部に、「皆で『田原坂』を歌おう!」と提案した。
後継の若武者たちの熱唱に、ひときわ大きな喝采(かっさい)を送った。
さらに婦人部には、「永遠の幸福を 勝ちとるために 今日も 信心の戦いを」と指針を贈っている。
“いざ”という時に、人の心は“鏡”に映すように明らかになってしまう。
とくに“妙法の鏡”に照らしてみれば、善悪ともに「因果倶時(いんがぐじ)」で、生命の実相が、一点の差し引きもなく浮かび上がってくる。
信心の「一念」は、まことに厳しい。
広布の戦いにあって、急所、急所となる場面での、同志の言葉、行動は、映写機のように私は脳裏に焼き付けている。
“この人は信頼できる”“立派な信心だな”と。
その方々のことを、私は永遠に忘れることはできない。
「火の国」熊本の友には、炎のごとき正義の心がある。
 
本年は「“妙法の肥後(ひご)もっこす”たれ」との指針が示された熊本県幹部会(6911月)から、50周年の節を刻む。
「肥後」は熊本県旧国名で、「もっこす」は気骨者、意地っ張りなどを意味する。
先生は熊本の県民性に触れつつ、次のように訴えた。
頑固一徹(がんこいってつ)のもっこす精神も、妙法の光を当てた時、民衆を利用しようとする権力や邪悪に対する反骨精神(はんこつせいしん)となる。
これは、学会精神です。私たちは“肥後もっこす”でいこう!
私は生涯、庶民の味方として戦い、仏法を実践して、皆さんと苦楽を共に生き抜いていきます。
さらに先生は、“広宣流布は「仏」と「魔」との間断なき闘争である。立正安国の道を歩み抜こう”と強調。
「熊本は勝つぞ!」との師の闘魂に、友の胸は炎と燃えた。
 
不撓不屈の誓い
414日で熊本地震の発生から3年となる。
熊本総県では、毎月14日を「不撓不屈 祈念の日」と定め、地域の復興を強く祈り、前進を続けてきた。
地震直後の420日、池田先生は随筆で、熊本の同志に全魂の励ましを送った。それは同志の希望の指標となり、師弟の誓いと輝いている。
苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難(かんなん)の山を登り切ってみせる。
これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
断じて、負けるな! 今こそ不撓不屈(ふとうふくつ)たれ!
「未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。
相手の仏性を信じ、一人また一人と語りかける我らの勇気の対話こそ、大聖人のお心に直結した慈悲の行動である。
大事なことは友の幸福を祈り抜くことだ。
立正安国への誓願の祈りだ。その深き祈りを根本とした言論こそ、無敵の力なのである。
創価の師弟に、「越せない坂」は絶対にない!
これが、未来永遠に変わらざる九州同志と私との不撓不屈の誓いだ。