師弟不二の共戦譜​ 第2回-上

 
師弟不二の共戦譜​ 第2回-  大阪  庶民の英雄を励ますため、 真っ先に大阪の地を踏んだ
 
大阪には、”創価の心”のー切が凝縮されている。
師弟の精神が。学会魂が。
常勝の原点が。不敗の誓いが。
庶民のドラマが。地涌の闘争が。
大阪を学べば、学会の偉大さが分かる。
さあ、「創価勝利」の歴史の扉を、大阪から開きゆこう。
 
地方指導の初陣
小説『新・人間革命』は、会長・山本伸一が世界広布の第一歩をしるしていく場面(1960 <昭和35>102日~)から始まる。
1巻は、この初の海外歴訪が描かれ、帰国の途に就くシーンで終わる。
2巻に入ると、伸一の国内での激闘(げきとう)が展開されていく。
記述される場面は第1巻から、ややさかのぼり、伸一が第3代会長に就任 (6053)以降、全国各地を回っていく激励行が記される。
一人でも多くの会員と会い、愛する同志と共に新たな出発をするため、また、新支部誕生を祝福し、活動の流れを軌道(きどう)に乗せていくため、伸一は全精魂を込めて励ましを送っていく。
その”初陣”が大阪だった。
すなわち、池田先生が小説「新・人問革命』において、最初に言及した国内の天地が、大阪なのである。
 
関西総支部幹部会へ
会長就任の日からわずか5日後の58日、伸一は大阪府立体育会館で開催された関西総支部幹部に出席する。
池田先生は、第2巻「先駆」の章で、この幹部会の様子をつづるにあたり、まず、関西の不滅の原点について認(したた)めている。
56年の「大阪の戦い」で、5月に11111世帯という折伏(しゃくぶく)の金字塔を打ち立てた歴史。
同年7月の参議院議員選挙での「"まさかが”実現」の壮挙。翌57年の「大阪事件」。
この大阪事件について、先生は書き記した。
「そこには、学会の前進を阻(はば)もうとする権力の、悪質な意図(いと)が働いていた。
その時、彼の逮捕を最も悲しみ、怒り、邪悪な権力との闘争に立ち上がったのが関西の同志であった」 
そして、当時の真情を明かしている。
「彼は、庶民の英雄ともいうべき関西の同志を真っ先に励まし、ともに船出しようと、勇んで大阪の地を踏んだのである」
 
人間と人間の絆
池田先生はさらに、関西の強さの理由について言及していく。
「関西の友にとって、伸一は、どこまでも『ワテらのセンセ(先生)』であった。
一人ひとりの同志と、伸一との間に介在(かいざい)するものなど何もなかった。
立場や役職といった関係を超えて、ともに広宣流布の使命に生きようとする、人間と人間の絆(きずな)に結ばれていたといってよい。
それが関西の強さであり、また、学会の強さでもある」
学会には、”自分と先生”という、無数の師弟の絆(きずな)がある。
「大阪の戦い」は、その師弟の絆を強く結んだ、生涯忘れ得ぬ原点として輝いている。
「大阪の戦い」の当時は、信心歴が浅いメンバーがほとんどであり、幹部も少なかった。
しかし皆、池田先生の指導通りに戦い、学会活動の喜びを知った。
”先生のおかげで、信心の醍醐味(だいごみ)を味わえた””先生の励ましで、地涌の菩薩の使命を自覚できた”と、皆が自分と先生の原点を持っている。
創価の強さの土台は、「師弟」という人間同士の絆である。これは永遠に不変である。
 
皆さんが新しき広布の うねりを巻き起こしてほしい
座談会の充実を
関西総支部幹部会で伸一は、300万世帯達成の道が座談会の充実にあることを訴える。
「全幹部が勇(いさ)んで座談会に参加し、信心の確信あふれる、和気あいあいとした座談会を開催していくならば、弘教の輪(わ)は必ず広がっていきます。
座談会は、学会の縮図(しゅくず)です。
職業も、立場も異なる老若男女が、幸福への方途を語り合い、励まし合う姿は、現代社会のオアシスといえます。
牧口先生も、戸田先生も、座談会で不幸に泣く人びとと同苦し、 広宣流布の戦いを起こされた。
この草の根の運動が、今日まで学会を支えてきたんです。
どうか、座談会の充実に力を注ぎ、関西の皆さんが先駆けとなって、新しき広宣流布のうねりを巻き起こしていただきたいのであります」
さらに、関西への、なかんずく青年への期待が記されている。
「闇(やみ)の彼方(かなた)に暁(あかつき)の光が走り、朝の到来を告げるように、広宣流布の運動にも、先駆(かきが)けの光がなくてはならない。
伸一は、全国各地のなかで、関西の同志に、学会の先駆けとしての見事な活動を期待していた。
そして、各部のなかにあっては、彼はそれを、青年部に託(たく)そうとしていたのである」
 
幹部の在り方
2巻「民衆の旗」の章では、1960125日、大阪市の港体育館で行われた関西三総支部結成大会(関西総支部幹部会)での 伸一の指導を通し、先生は、関西への思いを、こう述べている。
山本伸一は、関西の新出発にあたり、幹部の在(あ)り方について語っていった。
そして、学会の組織や同志を、自分の私利私欲(しりしよく)のために利用し、名聞名利(みょうもんみょうり)や栄誉栄達(えいよえいいたつ)を考える幹部は、学会を蝕(むしば)み、信心を腐敗(ふはい)させていく要因(よういん)であると、厳(きび)しく断じたのである。
彼が、ここでこの話をしたのは、関西は、永遠に民衆の味方として、 不幸に悩む人たちを救いゆく、日本の模範(もはん)の組織であってほしいとの思いからであった」​
 
民衆の味方として人々を救う模範の組織であれ
大阪事件の本質
4巻「春嵐(しゅんらん)」「立正安国」、第5巻「勝利」「獅子」では、大阪事件を巡(めぐ)る裁判等の模様がつづられている。
小説『新・人間革命』で池田先生は、56年の「大阪の戦い」、そして57年の「大阪事件」という、常勝・不敗の原点を、重ねて認めている(第11卷「常勝」、第17卷「民衆城」、第22卷「新世紀」、第23卷「勇気」、第25卷「福光」等)
そこに不滅の学会精神があり、師弟共戦のドラマがあるからだ。
特に先生は、「大阪事件」が競(きそ)い起こった当時の背景を踏まえ、事件の本質に迫(せま)り、生命に刻(きざ)むベき精神を描き出している。
——「大阪事件」は、574月に行われた参議院議員の大阪地方区の補欠選挙で、東京から来た一部の会員が引き起こした買収事件と、何人かの同志が戸別訪問し、逮捕されたことから始まった。
選挙違反とは無関係の池田先生が、この選挙の最高責任者であったことから嫌疑(けんぎ)がかけられ、73日に逮捕。15日間にわたって勾留(こうりゅう)されたのである。
小説では、この「大阪事件」が、会員の選挙違反を契機にして、新しき民衆勢力である創価学会の台頭を打ち砕(くだ)こうとする権力の意図(いと)が潜んでいたと分析している。
また、学会によって民衆が目覚め、現実の政治を動かす力になりつつあったことが、国家権力にとって大きな脅威(きょうい)であったにちがいないとも洞察(どうさつ)している。
5卷「勝利」の章では、611216日、「大阪事件」の裁判に出廷した伸一が意見陳述し、権力をカサに着た弱い者いじめのような取り調べは断じて許(ゆる)しがたいものであると、検察の横暴(おうぼう)を(するど)く突いていく。
これは、全84回を数えた公判のうち、83回目にあたる。 当時、傍聴(ぼうちょう)していた林智栄子さん(関西婦人部総主事)は、「本当にすさまじい気迫でした」と振り返る。
「『勝利』の章の、この場面が掲載されたのは、96717日。
毎年、717日が来ると、私のみならず、関西の同志は、『”私の”原点の日や』と心を新たにします」
林さん自身も、574月、参院選大阪地方区の補欠選挙投票日から3日後、守ロ警察署の刑事に連行され、何日も取り調べを受けた。
林さんは当時、20歳で女子部班長。机をたたいて恫喝(どうかつ)され続けたが、何も悪いことはしていない。刑事の追及を否定し続けた。
警察の取り調べが済んだと思った矢先、今度は検察に呼ばれた。
取り調べは厳しさを増した。池田先生の写真を見せられ、「この人、知ってるやろ」「君が白状したら、他のみんなも外に出せるんや」と自白を強要された。不思議と怖(こわ)くはなかった。ただ、悔(くや)しかった。
権力の横暴さが許(ゆる)せなかった。10日ほどで解放された。
その2力月後、林さんは池田先生の逮捕の報を耳にした。
「もう終わったことだと思っていたので、驚きました。
”何で先生が逮捕されなあかんねん!”と怒(いか)りがこみ上げ、ただひたすら、先生のご無事を祈りました」(林さん)
57717日、大阪大会。堂島川の土手の木の下で、林さんはスピーカーに耳をそばだてながら、 川の向かいに立つ大阪地検をにらみつけた。”
先生を苦しめた権力が憎い。絶対この仇(あだ)を討つ!” ――この日の誓いは、今も林さんの、そして関西の同志の胸に赤々と燃えている。
なぜ、関西は師弟の誓いを忘れないのか。
「自分たちの池田先生だからです。先生がいらっしゃらなければ関西はありませんし、自分たちもいません。忘れるわけがありません」
 ――林さんの確信の声に、「報恩」に生きる関西の強さを見た。
 
弾圧にも恐れず
同巻「獅子」の章では、62125日、伸ーが無罪判決を受けた場面が描かれる。
その後、関西本部に移動し、伸一が、一緒に判決を受けたメンバーに語るシーンが続く。
「この大阪の事件の本質はなんであったか。
学会は民衆を組織し、立正安国の精神のうえから、民衆のための政治を実現しよう、政界にも同志を送り出してきました。
その学会が飛躍的な発展を遂げているのを見て、権力は、このままでは、学会が自分たちの存在を脅(おど)かす一大民衆勢力になるであろうと、恐(おそ)れをいだいた。
そして、今のうちに学会を叩(たた)きつぶそうとしたのが、今回の事件です。
そのために、戸別訪問という、いわば微罪(ちょうばつ)で逮捕された皆さんを脅(おど)し、いじめ抜いて、違反行為は私の指示であり、学会の組織的犯行であるとする調書をでっち上げていった。
学会を危険な犯罪集団に、仕立て上げようとしたんです。
本来、権力というものは民衆を守るべきものであって、善良な民衆を苦しめるためのものでは断じてない。
社会の主役、国家の主役は民衆です。
その民衆を虐(しいた)げ、苦しめ、人権を踏(ふ)みにじる魔性の権力とは、断固(だんこ)戦わなければならな い。それが学会の使命であると、私は宣言しておきます」
さらに伸一は、未来を見据(みす)え、力強く訴えていく。
「そして、学会が民衆の旗を揭げて戦う限り、権力や、それに迎合する勢力の弾圧は続くでしよう。
この事件は迫害の終わりではない。むしろ、始まりです。
ある場合には、法解釈をねじ曲げ、学会を違法な団体に仕立て、断罪しようとするかもしれない。
また、ある場合には、かつての治安維持法のような悪法をつくり、弾圧(だんあつ)に乗り出すこともあるかもしれない。
さらには、学会とは関係のない犯罪や事件を、学会の仕業(しわざ)であると喧伝(けんでん)したり、ありとあらゆるスキヤンダルを捏造(ねつぞう)し、流したりす ることもあるでしよぅ。
また、何者かを使って、学会に批判的な たちに嫌(いや)がらせをし、それがあたかも学会の仕業(しわざ)であると思わせ、陥(おとし)れようとする謀略(ぼうらく)もあるかもしれない。
ともかく、魔性の権力と、学会を憎むあらゆる勢力が手を組み、 手段を選ばず、民衆と学会を、また、私と同志を離間させて、学会を壊滅(かいめつ)に追い込もうとすること間違いない」
「そうした弾圧というものは、競い起こる時には、一斉に、集中砲火のように起こるものです。
しかし、私は何ものも恐れません。大聖人は大迫害のなか、『世間の失一分(とがいちぶん)もなし」(御書958ページ)と断言なされたが、私も悪いことなど、何もしていないからです。
だから、権力は、謀略をめぐらし、無実の罪を着せようとする。 私は、権力の魔性とは徹底抗戦(てっていこうせん)します。
『いまだこりず候』(御書 1056ページ)です。民衆の、人間の勝利のための人権闘争(じんけんとうそう)です」
また、先生は、迫害をも恐れぬ学会の伝統精神を示していく。
創価学会の歩みは、常に権力の魔性との闘争であり、それが初代会長の牧ロ常三郎以来、学会を貫く大精神である。
日本の宗教の多くが、こぞって権力を恐れ、権力の前に膝(ひざ)を屈(くっ)してきたのに対して、学会は民衆の幸福、人間の勝利のために、敢然と正義の旗を掲(かか)げた。
それゆえに、初代会長は獄中で、尊(とうと)き殉教(じゅんきょう)の生涯を終えた。
人権の基(もとい)をなす信教の自由を貫(つらぬ)いたがゆえである。
また、それゆえに、学会には、常に弾圧(だんあつ)の嵐が吹き荒れた。
しかし、そこにこそ、人間のための真実の宗教の、創価学会の進むべき誉(ほま)れの大道がある」
 
​​​​大阪への指導
邪悪な権力との戦い
〔「大阪事件」の判決前日に開催された関西男子部の幹部会で、 逮捕自体が不当であると断言したうえでの指導)
「私は、いかなる迫害(はくがい)も受けて立ちます。
もし、有罪となり、 再び投獄(とうごく)されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜(お)しむ心などありません。
だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く 決意であります。
これは、私の宣言です。
仏法は勝負である。残酷(ざんこく)な取り調べをした検事たちと、また、 そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。
彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然(かんぜん)と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗(こう)する巌窟王(がんくつおう)のごと、不撓不屈(ふとうふくつ)の金剛(こんごう)の信念を感じ取った。
そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人羝を 幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。
その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」 関西男子部の幹部会は、民衆とともに生きゆく、誓いの集いとなった。(5卷「獅子」)
 
大阪への指導
「日々新生」の決意で
伸一が、「関西の歌」の歌詞を口述し、妻の峯子がメモをしていくシ―ン〕
「今再びの 陣列に…」
冒頭は、この言葉しかないと思った。
"私と共に、無名の庶民がスクラムを組み、前人未到(ぜんじんみとう)の歴史を開き、広布の金字塔を打ち立てた関西である。
自分と同じ心で、魔性の権力の横暴(おうぼう)に憤怒(ふんど)し、血涙(けつるい)を拭(ぬぐ)って挑(いど)み立ち、常勝の大城を築いた関西である。
関西には黄金燦(さん)たる誇(ほこ)り高き原点がある。
なれば、常にその原点に立ち返り、いよいよ「日々新生」の決意で立ち上がるのだ。
また、関西の同志との絆(きずな)は、決して偶然(ぐうぜん)でもなければ、今世限りのものではない。
広宣流布誓願して躍り出た地涌の菩薩として、久遠の使命に結ばれたものだ”
 伸一は、心の底から、こう感じた刹那(せつな)、
「君と我とは 久遠より 誓い友と春の曲」との歌詞がロをついて出ていた。
 峯子が、瞳を輝かせて言った。
「『春の曲』。いい言葉ですね。そこには、 幸せも、歓喜も、躍動も、勝利も、すべてが凝縮(ぎょうしゅく)されていますもの」(28卷「広宣譜」)​​​
 
​​​​​輝きの舞台 中之島大阪市中央公会堂
商都、大阪の経済の中心として 発展してきた中之島
そのシンボルともいえる建物が、大阪市中央公会堂だ。
昨年、完成100周年を迎えた、国の重要文化財でもある。
ロシア歌劇団アイーダ」の公演や、ヘレン・ケラーガガーリンなどの著名人が講演してきた同公会堂は、関西広布史においても重要な場所。
戸田先生の一給論義が行われた会場であり、何より、1957717日の「大阪大会」の舞台である。
「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
――池田先生の魂の叫びは、今も同志の闘魂となって燃え盛っている。
 
​​​輝きの舞台 ​関西本部
「大阪の戦い」等の舞台である、旧関西本部。 1955年(昭和30年)1213日、戸田先生が 出席して落成入仏式が行われた。
音楽学校の校舎を改装した3階建ての古い建物。
大勢の人が集まると揺れるほどだった。
「だから私は、関西には世界一の法城をと願ってきたのである」(2007年〈平成19年〉11月、関西池田 記念会館で行われた本部幹部会でのスピーチ)