【第4回】 方便品第二(下) (2019.4.23)

諸法実相──
千変万化するすべての生命が南無妙法蓮華経の姿である
 
■諸法実相
「方便品」の冒頭から、釈尊が賛嘆してきた仏の智慧とは、一体、何なのでしょうか?
それは、仏と仏とのみが究め尽くした「諸法実相」であると明かしています。

諸法とは、森羅万象、あらゆる物事や現象のことです。実相とは、真実のありのままの姿のことです。

つまり、諸法実相とは、「あらゆる現象の真実のありのままの姿」といえます。

釈尊は、「実相」の内容を、「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」の「十如是」として示します。

この十如是とは、生命が等しく具える10種の側面です。

地獄界であれ仏界であれ、十界のどのような衆生・環境も、等しく十如是を具えていると説きます。

この法華経の視座には、生命の尊厳性と平等性を謳う精神が光り輝いているのです。
 
●十如是とは
では「十如是」には、どんな意味があるのでしょうか。
まず「如是」とは、「是の如き」と読み、「このような」という意味です。

つまり、本来であれば言葉で表現できない甚深の仏の智慧を、あえて言い表すと、「このような」表現になるということです。

「相」とは、表面に現れて絶え間なく移り変わる形、様相です。

「性」とは、内にあって一貫している性質・性分です。「体」とは、「相」と「性」を具えた主体です。

「力」とは、内在している力、潜在的能力です。「作」とは、内在している力が外界に現れ、他にも働き掛ける作用です。

「因」とは、内在していて、結果を生み出す直接的原因です。「縁」とは、外から「因」に働き掛け、結果へと導く補助的な原因です。

「果」とは、因に縁が結合して内面に生じた目に見えない結果です。「報」とは、その「果」が時や縁に応じて外に現れ出た報いです。

そして「本末究竟等」とは、「相」から「報」までの九つの如是が、一貫性を保っていることです。

仏界であれば、仏界の相、仏界の性……仏界の報というように、統一性をもって「十如是」が成り立っていることを言います。

人間だけでなく、花や動物、自然など、ありとあらゆる存在が、十如是という様式で存在しているのです。
これが仏の究めた諸法実相の智慧なのです。
池田先生は、つづっています。
「生命という観点から見ると、諸法とは個々の生命であり、実相とは仏が覚知した宇宙大の生命そのものを指すとも言えます。
個々のどんな小さな生命の中にも、宇宙生命そのものを見るのです。
言い換えれば、あらゆる衆生は仏が悟った妙法の当体であり、仏性を具していると見るのです。
それが仏の諸法実相の智慧です。

諸法に即して実相を見る仏の眼とは、一切衆生を救い、成仏させていこうという慈悲の眼でもあるのです」(『法華経 方便品・寿量品講義』普及版〈上〉)

諸法実相が説かれたことによって、仏も衆生も、本質的に全て妙法蓮華経(実相)として平等であることが示されます。
つまり、十界のいずれの境涯も、縁に応じて現れることが明かされたのです。

故に、一切衆生は、仏界の縁を得ることができれば、仏界を現し、成仏することができるのです。

 
●南無妙法蓮華経の姿
大聖人は、この諸法実相の法理について、根本の意義を教えられています。

「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(御書1358ページ)

十如実相の文が示しているのは、千変万化する全ての生命(諸法)が、ことごとく南無妙法蓮華経の姿(実相)であるということです。

さらに池田先生は語っています。
「“仏が悟った実相においては、仏の生命(本)も、九界の衆生の生命(末)も、詮ずるところ(究竟して)、妙法の当体として等しい”ということです。
ゆえに、いかなる衆生も、自身が妙法の当体であるという実相を悟れば、仏となる。

身の生命の実相(妙法の当体であること)を悟るか否か、それだけが仏と衆生との違いなのです」(『法華経智慧』普及版〈上〉)と。

 
なるほど
戸田先生は、十如是について講義されました。
「十如是というものは、御本尊のお姿というものを、略して説いていることになるのであります。
そこで、方便品は大事なのであります。表からいえば、十如是だけです。これは教相の面であります。

日蓮大聖人の御内証、観心の目からみれば、りっぱにこれは御本尊になるのであります」(『戸田城聖全集』第5巻)

大聖人は、諸法実相を御自身の生命で覚知され、御本尊として御図顕されました。
池田先生は、つづっています。

「あえて諸法と実相を立て分けるならば、御本尊の中央に御認めの『南無妙法蓮華経 日蓮』が実相に当たり、左右の十界の衆生が諸法を代表しています」

「全宇宙が諸法実相であり、御本尊なのです。本来、わが生命も諸法実相であり、御本尊なのです。
ゆえに御本尊を拝するとき、宇宙とわが生命がダイナミックに交流しつつ、自身の本来の『実相』すなわち南無妙法蓮華経の当体としての姿に輝いていくのです。
本来の仏の智慧がわくのです。慈悲の行動へ勇気がわくのです。

福徳の黄金の軌道に入っていくのです。何とすばらしい御本尊でしょうか。なんとすばらしい法華経智慧でしょうか」(『法華経 方便品・寿量品講義』普及版〈上〉)