【第5回】 譬喩品第三   (2019.5.14)

「譬喩」とは――仏の慈悲と智慧の結晶 その心は学会の実践の中に!
 
■大要
「方便品第二」で「開三顕一」の説法を聞いて領解した舎利弗は、歓喜します。
そして、理解できないでいる人々のために、釈尊に法を説くように嘆願します。
それに応え、釈尊は「三車火宅の譬え」を説きます。
内容を追ってみましょう。
 
●シーン1
舎利弗は、躍り上がって喜び、起って合掌し、語ります。
“これまで、私たち二乗は、仏になれないと苦しんできました。
しかし、今、自分も仏子であることを知りました。
私も仏となって菩薩を教え導かなければなりません”
釈尊舎利弗に、“昔から、あなたを教え導いてきた。
それなのに、過去に修行し、誓願したことを忘れているので、それを思い出させるために、妙法蓮華という法を説く”と語ります。
さらに、“未来に「華光如来」という仏となり、仏となったあなたの弟子の中からも、仏になるものが現れる”と宣言します。
舎利弗が記別(仏が弟子の未来の成仏を保証すること)を受ける姿を見て、四し衆しゅ(男女の出家・在家の弟子)や諸天、鬼神たちも大歓喜します。
そして、帝釈天梵天が“仏は今、昔、初めて説法した時と同じように、最上の法を説くのだ”と述べます。
舎利弗釈尊に請願します。
“私は何の疑いもありません。
私は覚りを得ることができると保証されましたが、ここにいる人々は、いまだ聞いたことのない法を説かれても、前の法にこだわって、疑惑を抱いています。
どうか因縁を説いて、疑惑を晴らしてください”
釈尊は、“先ほど説いたことを、譬喩によって明らかにしよう。智慧のあるものは、譬喩によって理解できるからである”と述べます。
ここから有名な「三車火宅の譬え」が語られ始めます。
 
●シーン2
――ある町に年老いた一人の大長者がいました。
彼の家は大邸宅で、門は一つだけです。建物は朽ち果ててしまいそうなほど古く、傾いていました。
突然、火事が起こり、家は炎に包まれます。その中で、長者の子どもたちが遊んでいます。
長者は考えます。
“私は無事に脱出できたが、子どもたちは遊びに夢中で、気が付かない。危険が身に迫っているのに、逃げようともしない”
“私は力があるから、子どもたちを救出しようか……。
いや、この家には一つの狭い門しかない。火事が恐ろしいことを教えるしかない”
「すぐに出てきなさい」と、長者は子どもたちを諭さとしますが、子どもたちは遊びに夢中で、恐れることもなく走り回り、父を見ています。
長者は思案します。
“方便をもって、この火事から子どもたちを救おう”
長者は再び、子どもたちに声を掛けます。
「欲しがっていた、おもちゃの羊車、鹿車、牛車が、門の外に置いてあるから、早く出ておいで」
子どもたちは、競い合うようにして、燃えさかる家から飛び出してきました。
無事な所に出てきて落ち着いた子どもたちが、父である長者に、“おもちゃの羊車、鹿車、牛車をください”と言います。
長者は、子どもたちに、速く走ることができる真っ白な牛に引かれ、数多くの従者に守られた、宝で飾られている大きく立派な「等一の大車」(大白牛車)を与えました。
その時、長者は思いました。
“計り知れない財産を持っているのに、なんで劣った車を与えることができるであろうか。
平等に与えよう。皆、大切な私の子である。
差別することなく、平等に愛さなければならない”――。
 
●シーン3
譬えを語り終えた釈尊は、舎利弗に問います。
“あなたは、長者が、子どもたちに対して、約束したおもちゃの車ではなく、大車を与えたことを、ウソをついたと思うだろうか”
舎利弗は答えます。
“命を助けたのですから、ウソにはなりません。子どもを助けたいとの思いからであって、ウソではありません”
釈尊は、舎利弗に告げます。
“その通りだ。仏もまた、一切世間の父なのである。凡夫を救おうとしているのである。
衆生は、生老病死の四苦をはじめ、貧窮(びんぐ)困苦(こんく)愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)などの苦しみに焼かれているのに、それに気が付かず、恐れず、覚りを求めることもないままでいる。
仏はその様子を見て、「衆生の父として衆生の苦悩を除き、仏の智慧を与え、人生を遊楽させるのだ」と念願した”
長者は力があっても、子どもたちを無理に連れ出さなかった。
同じように、仏も智慧と方便によって、三乗(声聞・縁覚・菩薩のための教え)を説いて衆生を導くのである。