【第6回】 信解品第四㊤ (2019.6.8)

「無上宝聚 不求自得」――
「生命」という無上の宝をだれもが平等に持っている
 
■大要
「譬喩品第三」で「三車火宅の譬え」を聞いた声聞の代表が、釈尊に自分たちが領解したことを、「長者窮子の譬え」として述べます。
それでは、その内容を追ってみましょう。
 
●シーン1
「解空第一」といわれた「須菩提」、「論議第一」の「迦旃延」、「頭陀第一」の「迦葉」、「神通第一」の「目?連」の、声聞を代表する4人(四大声聞)が登場します。
4人は、“将来、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得るだろう”と舎利弗に記別(仏となる保証)が授けられるのを聞き、未曽有の法に出合ったことで歓喜踊躍し、立ち上がって衣服を整えます。
そして、右肩を出し、右膝を地面に着け、合掌して釈尊に語ります。
「私たちは、教団のリーダーであり、年老いています。
すでに覚りを得ていて、これ以上、頑張る必要はないと思い、自ら進んで仏の完全な覚りを求めようとしていませんでした」と告白します。
しかし、「(成仏できないとされていた)声聞に授記するのを聞き、(自分たちも仏になれるのだと知り)歓喜しました。
無量の珍宝を求めずして得ることができました(偈文では『無上宝聚 不求自得』)」と喜びます。
発奮した4人は、「理解したことを、譬喩として語りたいと思います」と、感動のままに、有名な「長者窮子の譬え」を語りだします。
 
●シーン2
――まだ年若くして父親を捨て、出て行ってしまった子がいました。
その子は、10年、20年、50年と長い間、他国を渡り歩き、年を取り、困窮していました。
一方、父親は、子どもを探しまわりましたが、見つけられませんでした。仕方なく、ある都市に住み着き、大富豪になっていました。
父親は、子どもと離ればなれになっていることを人に話さず、常に一人で息子を思い、悩んでいました。
「金や銀などの財宝があふれんばかりにあるのに、私が死んだら財産は散り失せてしまう」
「わが子を見つけて譲ることができれば、何の憂慮もなくなるのに……」
放浪していた息子が、偶然、父の邸宅の前にやってきました。
門の側に立った息子は、遠くに父親の姿を見ても気が付かず、ただその立派さに驚き、怯えてしまいます。
“王のようなすごい人だ。とても自分が衣食にありつけるところではない。
ここにいたら、捕まって強制的に働かされるだろう”と、逃げ出します。
その時、父親は息子の姿を見て、すぐにわが子だと分かりました。父親は喜び、家来に命じて迎えに行かせます。
ところが息子は、罪もないのに捕まえられて、“これは殺されるのだ”と、恐怖のあまり意識を失ってしまいました。
父親は、息子の志が卑しくなっているので、“親子の名乗りをしても無理だろう”と思い、息子を解放しました。
父は息子を導こうと、一計を案じます。
貧相な身なりの二人の使いをやり、「便所掃除の仕事があるよ。給料は2倍だ」と誘って、息子を雇います。
ある日、父親は、遠くに憔悴して働く息子を見つけます。
すると、自ら貧相な格好をして息子に近づき、話し掛け、親しくなりました。
父親は息子に語ります。
「いつまでも、ここで働きなさい。給料も増やしてあげよう。何でも言っていいんだよ。
私のことを父と思いなさい。私は君のことを息子のように扱い、“わが子”と呼ぶよ」
息子は喜びましたが、あくまでも自分は卑しい身分だと思い、便所掃除に20年間、励みました。
やがて父子の心は通じ合うようになり、信頼され、息子は自由に父の屋敷に出入りするようにまでなりました。
しかし、息子は、相変わらず粗末な小屋で生活していました。
父親は病気になり、死が近いことを悟りました。
そこで“わが子”に言います。
「私には多くの財宝があり、蔵にあふれている。その使い方を、お前はすべて理解しているから、この財産を管理しなさい。
なぜなら、私とお前はまったく違いがないのだから。心して財産を失わないように」
“わが子”は財産の管理をすべて任されましたが、大切にし、財産の一分も自分のものとすることはありませんでした。
しばらくして、父親は“わが子”の心根がようやく立派になり、大きな志に立ったことを確信します。
そこで、父親は臨終の時、親族や国王・大臣らを集めて、告げます。
「諸君、この人物は、実はわが子である。私の実の息子である。家出をして50年間、放浪していたのだ。
本当の名はこれこれで、私の名はこうだ。一生懸命に捜していたが、ここで、たまたま出会うことができた。
今、私は、自分のすべての財産をわが子に譲る」
息子はこの真実を知って、「このすばらしい財産を、求めずして、おのずから手に入れることができた」と、このうえない歓喜につつまれました――。
 
●シーン3
譬喩を終え、声聞たちは釈尊に言います。