名誉会長 「牧口先生とカントを語る」 (2) 2001年11月18日

戦争の廃止へ国際連盟を主張


一、「美しいものに出あう時、人は感動にふるえ、心に何かが目覚める。カントは、「美」に、「人間を善(ぜん)へと促す力」を見いだした。彼は言う。「美しいものは、道徳的に善なるものの象徴である」と。

カントの「美」についての思索は大詩人ゲーテにも感銘を与えたという。牧口先生の『価値論』も、「美」の価値を重視している。

そして、創価学会は、「美」の価値を創造する文化・芸術運動を進め、世界的規模で「善」の連帯を広げている。

詩は最高の芸術 

一、さらにカントは言う。 「およそ一切の芸術のうちで、最高の地位を占(し)めるものは詩である」(篠田英雄訳) 〝詩は、人間の心を開かせ、強くする″からである。私も、そう思う。

世界桂冠(けいかん)詩人として、人間精神の新たな地平を切り開く詩を、さらに謳(うた)い、残したいと決心している。

キング博士ら人権運動を鼓舞

一、カントは、人間が、身分や人種、国民であるということ以前に、自立した「人格」をもった存在であると見た最初の思想家の一人とも言われる。

カントが示した有名な道徳の原則の一つに、こうある〈定言命法(ていげんめいほう)の定式(ていしき)〉「人類を、自分自身であろうと他人であろうと、いかなる場合であれ、けっして単なる手段としてではなく、目的として扱え」(原好男訳)

人間を手段にしてはならない!これは無条件に守られるべき原則だ。人間は尊厳であるー。

このカントの宣言は、アメリ公民権運動の指導者・キング博士をはじめ、現代にいたる世界の人権運動を鼓舞(こぶ)し続けてきた。(現代の生命倫理学においても「カント的制約」などと呼ばれる)

人間は、使命があって地球に誕生した。それを自覚すべきだ。人間が等しくもっ「神聖(しんせい)な権利」を尊重せよ。「世界市民」として共存していくべきだ。-これがカントの信条であった。そして人類の共存、永遠平和を、多くの機会に訴えていったのである。

創価学会は、仏法の「生命尊厳」の哲学を掲(かか)げ、全世界で平和主義を貫(つらぬ)いてきた。

私が、トインビー博士と、カントの哲学などを通して語り合った焦点の一つも、「人間の尊厳」「生命の尊厳」をいかに守り、輝かせていくかであった。創価学会は、永遠に、「人間を手段とする」転倒(てんとう)とは断固、戦い抜く。 

道徳か権力か

一、「しかし、「人間の尊厳」と言っても、この現実の世界で、どうやって実現するのか?

個々人の賢明(けんめい)な行(おこな)いはある。しかし世界全体としては、人間は「愚(おろ)かさ」「幼稚(ようち)な虚栄(きょえい)」「子どもっぽい意地悪(いじわる)」「破壊欲(よく)」などに翻弄(ほんろう)されてきたーそうした歴史に、カントは、やるせない思いを抱(いだ)いていた。

「甚(はなはだ)しく人類を苦(くる)しめるのは、人間同志(どうし)が互(たがい)に加え合う害悪(がいあく)である」(篠田英雄訳)

その最大の「害悪」こそ「戦争」であった。人間を〝手段″にする、最たるものだからである。

一、カントは、永遠平和を阻(はば)む悪を、何に見いだしたか?

それは、人間が道徳の命令に従(したが)わず、自分の欲望に従うという「転倒(てんとう)」にある。

なかんずく、政治家の権力悪が問題になる。 彼は言う。

〝政治の原理を道徳と両立させる″政治家であるべきだ。その反対に、〝道徳を政治家の利益に役立つように焼(や)き直す″道徳家などいらない。

権力の増大を目的とする為政者(いせいしゃ)は、道徳を〝政治を正当化する仮面″にしている。

自(みずか)らの政治行為を誇(ほこ)ってはいるが、その内心は、エゴと謀略(ぼうりゃく)に満たされている。人間社会を「私物」のように考え、権力と利益の拡大のみを目的とする。自分たちの利益のためには、世界をも犠牲(ぎせい)にできるとさえ思っている-。

カントは、こうした権力根本の政治を、「偽(にせ)政治」「ごまかし」「見せかけ」「二枚舌(した)」などと批判した。そうした為政者こそ、永遠平和への「改善」を妨(さまた)げる張本人だからである。

権力悪は恐ろしい。だからこそ戸田先生は「青年よ、心して政治を監視(かんし)せよ!」と遺言(ゆいごん)されたのである。

人間の為の国家

一、カントは、「人間の権利」を、政治よりも上に位置づけた。

人権を守るために「諸国家の連合体」の構築を主張した。そして「永遠平和」をもたらすことが「最高の政治的善」であると展望したのである。

こうしたカントの「永遠平和論」は、人類初の国際平和機構「国際連盟」の創設を基礎づけたことで知られる。今の「国際連合」にも、つながる。 カントは「常備軍(じょうびぐん)の全廃(ぜんぱい)」も提唱していた。

国家のために人間があるのではない。人間のために国家がある。人間のために政治がある。

そう明確に主張した先駆(さきが)けの一人が、カントであった。

〝偽(いつわ)りの宗教″〝偽りの聖職者″

一、カントは、人間の尊厳を踏(ふ)みにじる悪として宗教や聖職者における虚偽(きょぎ)を批判した。

真の宗教は「善」へ人間を革命 

彼は主張した。だれもが本来、善に目覚め、自身の心を高め、変革することができる。

真の宗教(道徳的宗教)とは、善への「人間の革命」を励(はげま)ますものである。

それに対して、善の行動や努力を怠(おこた)らせ、〝人間を「未成年状態」のままにする″宗教がある。

そこでは、聖職者は、宗教の本質ではない「儀式」や「規則」を中心にしがちである。

宗教の儀式・規則を司(つかさど)る自分が、それらを利用し、神と人間を仲介(ちゅうかい)するがごとく振(ふ)る舞(ま)って、自分を権威づけ、人の心を不当に支配しようとする傾向がある。

本来、「奉仕(ほうし)」すべきであるのに、「命令」し、「支配」し、奴隷(どれい)のように従(したが)うことを人々に要求する。

そうして、人々に善の行動への勇気・努力を失(うしな)わせるのみならず、〝儀式に出て、規則に従ってさえいれば、罪も許される″という怠惰(たいだ)な信仰者を生み出す。

また、悪(あ)しき自分の内実を、儀式に出ている姿で覆(おお)い隠(かく)す〝偽(にせ)の信仰者″をはびこらせる。そんな危険がある。

カントは、偽(いつわ)りの聖職者に支配された偽りの宗教は、こうした〝虚偽の連鎖(れんさ)″ともいうべき堕落(だらく)をもたらすことを、克明(こくめい)に指摘したのである。

それゆえカントは、権力者から迫害され、批判を公言できなくなったが、それでも「自分の内面の確信を取り消し、否認するのは、恥(は)ずべきことだ」と信条を曲(ま)げなかった。

後に、宗教権威から破門されたトルストイは、このカントの宗教論にも啓発を受けていた。

(特にカントの『単なる理性の限界内の宗教』を愛読。日記には「カントを読み、感動した」「非常に良い」等とある)

宗教革命の正道

一、〝偽(いつわ)りの聖職者″〝偽(にせ)の信仰者″とは、まさしく、今の日顕宗の姿そのものである。

それを打ち破り、正しき「宗教革命」に立ち上がったのが創価学会なのである。

一、ルソーを読んで、目を開かされ、「人間を尊敬することを学んだ」カント。民衆を愛し、青年を愛した彼は、多くの人々から敬愛された。 

カントの葬儀の際には、聖職者はいなかった。しかし、大学の学生や教職員をはじめ、数千人の市民が、別(わか)れを惜(お)しんだという。

カントも論じたように、聖職者が人間の幸・不幸を決めるような宗教は間違っている。

仏法の本義から見ても、聖職者が葬儀に関(かか)わるかいなかは、成仏と、まったく関係ない。

信心で決まる。行動で決まる。

それを事実の上で証明しているのが、学会の友人葬(そう)である。私たちは、宗教革命の〝正しき道″を歩んでいるのである。

法華経に着目

一、カントは、すでに200年以上前、日本で信仰される仏教経典として、「法華経」に言及している。

〈日本について、「彼らの宗教書は花の本〔=妙法蓮華経〕と呼ばれる」と述べている。1781年の講義ノートにもとづくもの(『自然地理学』三枝充悳訳から)〉

昨年、欧州初の「法華経シルクロード」展(SGI東洋哲学研究所ロシア科学アカデミー東洋学研究所が共催)が、オーストリア、そしてドイツで開催された。

訪れた学者から、法華経が伝える「平和の精神文化」に大きな反響が寄せられた。

牧口先生は、孤独(こどく)の獄中(ごくちゅう)でカントの哲学を読みながら、西洋の大哲学をも包(つつ)みゆく、東洋の大哲学の真髄((しんずい)に生き抜き、未来の創価学会の「世界宗教への道」を開いてくださった。

先生が創立した創価学会は、今やSGIとして世界177カ国・地域に発展を遂(と)げた。法華経の「生命尊厳」の哲学が、世界の「常識」となり、「世界精神」となる日を、私どもは目指して進む。

カントは言った。「真の永遠平和は、決して空虚(くうきょ)な理念ではなくて、われわれに課(か)せられた課題である」 (宇都宮芳明訳)と。

大迫害の中、人類の悲願である「永遠平和」のために、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で戦われた牧口先生。その遺志(いし)を継(つ)ぎ、断固として世界平和へ進みゆくのが、創価学会である。それが「人間革命」の大運動なのである。