名誉会長 「牧口先生とカントを語る」(1) 2001年11月18日

平和へ!「宇宙」から「人間を」見つめて

13歳で母を 22歳で父を亡くしたカント

逆境を越えて哲学革命

“正しい生き方を教えてくれた父母に感謝”



牧口先生とカントを語る (上)




一、21世紀最初の「創価学会創立記念日」を、全同志とともに晴れ晴れと迎えることができた。

創価学会は、同志の皆さま方の真剣なる信心と、勇敢なる広宣流布への貢献によって、日本一、世界一の宗教団体に発展した。

 ドイツの大哲学者・カントは言う。 「熱情(ねつじょう)なくして偉大なものは成就(じょうじゅ)されたことがない」(浜田義文訳)と。

創価学会が偉大なる発展を遂げたのは、「広宣流布への熱情」が燃えていたからである。

獄中(ごくちゅう)でカントを

一、「創立の日は、牧口初代会長が亡くなられた日でもある。

創価学会は、創価教育学会として昭和5年(1930年)11月18日に創立。牧口初代会長は昭和19年(1944年)のこの日に逝去(せいきょ)〉

私は、牧口初代会長、戸田第2代会長に対する報恩感謝の唱題を、懇(ねんご)ろにさせていただいた。

全学会の同志とともに、先師、恩師に最大の感謝を申し上げたい。

 牧口先生は、獄死(ごくし)される直前まで、カントの哲学を精読(せいどく)しておられた。

先生の独創的な「美・利・善」の価値論は、カントの「真・善・実」をはじめとする、大いなる哲学の峰々(みねみね)を登攀(とうはん)する中で生まれた。

きょうは、先師を偲(しの)びつつ、カントの宇宙観、人間観、平和観、宗教観等について、少々、思いつくまま所感を語りたい。もとより、本格的な哲学論ではなく、カントという一個の「真理を求め続けた人間」の誠実さに学びたいという趣旨である。

なお、創立の日の記念として、ドクター部の方々や創価教育の同窓生、また「長城会(ちょうじょうかい)」の友らから、数々の貴重なカントの原書や研究書をお届けいただき、感謝に堪(た)えない。

 真心の書物を開き、見つめながら、私は、牧口先生の精神を継承しゆく、英知の指導者の栄光を祈った。

 賢者の皇帝

一、先月、アメリカ航空宇宙局NASA)の教育プログラムである「アースカム」に、日本から唯一(ゆいいつ)、関西創価学園が参加した。今回で2度目である。

国際宇宙ステーションに搭載(とうさい)されたデジタルカメラを、生徒が遠隔操作(えんかくそうさ)して、地球を撮影する試みである。 「宇宙から人間を見つめる」視点は、人類の境涯を高めていくだろう。それが、平和と共生の心に通じていってほしいと私は願う。

今から200年以上前に、大宇宙の次元から人間を見つめ、「地球の永遠平和」と「人間の尊厳」を高く掲(かか)げた哲学者がいた。 それが、「賢者(けんじゃ)の皇帝」とも呼ばれたカントである。

一、「カントの哲学は、西洋の哲学の歴史に新章節(しんしょうせつ)を開いた「哲学革命」であったといわれる。カントは、いかなる革命をもたらしたのか。それは、「理性批判(りせいひはん)」である。人間の理性が、理性自身に対して徹底して批判を加えることである。

〝理性は「神の存在」の問題などについて解答を与えうる″という独断的立場が、それまでの哲学にはあった。 カントは、「人間の理性が真に知りうるものとは何か」を明らかにし、そのうえに、新しい哲学の体系を打ち立てたのである。 

銀河を望んで

一、「カントの関心は最初、自然に向かった。

若き日、ニュートンの影響を強く受けたカントは、『天界の一般自然史と理論』を著(あらわ)した。

〝太陽系は、星雲(せいうん)状のガス体から生まれた″とするカントの仮説は天文学史に名高い。

〈カント=ラプラスの星雲説〉 

人類の生きる、この「太陽系」が、大宇宙に存在する幾多(いくた)の銀河のうちの、一つの銀河にある小さな存在にすぎないと、カントは見ていた。

幾多の塁や銀河が「生成」 「消滅(しょうめつ)」 「再生」を繰り返すと考えた。また、地球以外にも、生命が存在すると信じていたのである。

一、結局のところ、カントが志(こころざ)したのは、宇宙の一切を統一している根源的なものを探究し、「人間とは何か」との問いに等えることにあったといえよう。 それは、「人間の尊厳」の探究でもあった。

カントの哲学を集約する有名な言葉がある。カントの墓碑銘(ぼひめい)ともなった言葉である。

〝私の心を感嘆(かんたん)と畏敬(いけい)で満たす二つのものがある。それは、星の煌(きら)めく天空と、私の内なる道徳律(どうとくりつ)とである″ 〈「ここに二つの物がある、それは-我々がその物を思念(しねん)すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆(かんたん)と畏敬(いけい)の念とをもって我々の心を余(あま)すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である」 (『実践理性批判波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波書店)〉

このカントの言葉については、私もこれまで、NASAで「人類初の月面着陸の総責任者」を務めたジャストロウ博士や、作家の井上靖(やすし)氏など、多くの知性の方々と語り合ってきた。

また、宇宙的なスケールで、人間の苦悩と歓喜、精神の崇高さを謳(うた)った楽聖ベートーヴェンが、カントの哲学を熱烈に学んだことは、よく知られている。

宇宙を貫(つらぬ)く妙法

一、古来、世界の知性は、真摯(しんし)に「宇宙と人間」の関係を考察し、そこから、人間としての正しい生き方を追究してきた。大宇宙に心を向けるとき、わが内なる宇宙の律動(りつどう)も自覚しやすくなる。

そうした謙虚な努力を忘れた時、人間は、幸福への「生命の軌道(きどう)」をはずれ、欲望に翻弄(ほんろう)されゆく、卑小(ひしょう)な、迷走(めいそう)飛行の人生となってしまうであろう。

仏法の宇宙観は「宇宙即我」 「我即宇宙」と説く。仏法の眼(まなこ)は「外なる宇宙」と「内なる宇宙」の一体性、連関性を見つめてきた。

また、宇宙は「成(じょう)[生成]」 「住(じゅう)[安定]」「壊(え)[崩壊]」 「空(くう)[非存在]」というサイクルを永遠に繰(く)り返していくと教えている。

宇宙と人間を貫く「法」が「妙法」である。それは、慈悲と調和の法であり、平和と幸福をあらゆる国土に広げゆく光源なのである。

大学の学長も

一、カントは1724年、東プロイセンの首都ケー二ヒスペルク(現在はロシアのカリーニングラード)に生まれ、1804年、79歳で亡くなった。

彼が生きた時代は、18世紀後半。啓蒙(けいもう)思想の成熟(せいじゅく)と「フランス革命」の時代であった。母校のケニヒスペルク大学で学部長、学長を歴任。その間に、多くの著作を残した。

主なものを挙げると、宇宙論としては、初期の『天界の一般自然史と理論』。

「真・善・実」の哲学体系の中軸をなす『純粋(じゅんすい)理性批判』 (真理の研究)、『実践理性批判』(善の研究)、『判断力批判』 (実の研究)。宗教論では『単なる理性の限界内の宗教』。平和論では『永遠平和のために』。また『実用的見地における人間学』 『教育学』などの著述(ちょじゅつ)もある。人間に関(かか)わる幅広い分野に論及(ろんきゅう)し、世界史的な影響力をもった著作ばかりである。

カント私が感歎(かんたん)してやまないのは「煌(きらめ)く星空」と「内なる道徳律(どうとくりつ)」

不幸に屈するな勇気で立ち向え

一、カントは、貧(まず)しい庶民(しょみん)の出身であった。むしろ、それを誇りとしていた。

青春時代も、決して、悠々(ゆうゆう)と学べる環境にいたのではない。

カントが13歳の時、母親が亡(な)くなり、馬具(ばぐ)職人の父親は22歳の時に亡くなった。

貧しいゆえに、その葬儀(そうぎ)の費用にも、ことかくありさまだった。靴(くつ)や衣服を友人に借(か)りることさえあった。またカントは、病弱だった。

そうした困難の中で、家庭教師をしながら、苦学を重ね、力をつけていったのである。

「不幸に屈(くつ)するな、ますます勇気をもってそれに立ち向かえ」 (西牟田久雄・浜田義文訳)

青春の日々に彼が自らを励ました、大詩人ウェルギリウスの言葉である。

カントは、晩年に至(いた)るまで、繰(く)り返し、〝両親が貧しいなか教育を与えてくれたこと″そして〝誠実さを欠いた卑怯(ひきょう)な生き方を一度も見せなかったこと″に感謝を語っている。

「私の家柄(いえがら)について誇りうることは、(職人階級出身の)私の両親が正直と礼儀(れいぎ)作法の点で模範的であり(中略)教育を私に与えてくれたことです。その教育は道徳的にみてこれ以上のものがありえないほど立派なものであって、私はそれを思いだすたびにいつも深い感謝の気持で一杯

(いっぱい)になるのです」(浜田義文訳)

特に母の思い出を語る時には、感激いっぱいに瞳(ひとみ)を輝かせていたという。

「私は母を決して忘れないだろう。それは母が私の内に善の最初の芽(め)を植えつけ、自然の印象に心を開かせてくれたからである。母は私の知識を目覚ませ拡(ひろ)げてくれた。その教えは私の生涯につねに有益な影響を与えてきた」 (同)

庶民として生きる誇り、そして感謝ーここに人類の精神界にそびえ立つカントの出発点がある。

「何を得 (え)り「何を為(な)すか」

一、カントの言葉に、こうある。

「私の誇りは、ただこれだけ、つまり、私が人間である、ということだけである」(尾渡達雄訳)

カントの眼差(まなざ)しは、まっすぐに「人間」そして「人間の生き方」に向けられていた。

人間は、いかに生きるべきか。享楽(きょうらく)のみを追い求める人生では価値はない。

人間の価値とは、「どんな物を得たか」ではなく、「何を為(な)すか」にあるのではないかー。

あらゆる虚偽(きょぎ)に鋭(するど)い批判を加え、「思想革命」をもたらしたカント哲学―それは「人間として正しい生き方とは何か」という原点の問いに立ち返ったところから生まれたのである。

カントに、最初に、そうした方向性を身をもって教えたのは、両親であった。

仏法の究極(きゅうきょく)は、「人の振(ふ)る舞(ま)い」である。仏法を正しく実践する皆さまは、「人間王者の道」を進んでいる。

後に続く子らに、そして青年たちに、創価の正義の人生を厳然と伝えてまいりたい(大拍手)。



牧口先生とカントを語る (中)


カントの叫び人間を”手段”にするな

「政治家の二枚舌(にまいじた)」と「聖職者の偽善」を批判

「戦争」こそ最大の「害悪(がいあく)」