名誉会長 「牧口先生とカントを語る」 (3) 2001年11月18日

牧口先生とカントを語る㊦


一、人間の心は、「善(ぜん)」と「悪」の戦場である。

人間の社会も、「善」と「悪」が激しいせめぎ合いを演じている。民衆を踏(ふ)みにじる権力者もいれば、虚偽(きょぎ)で欺(あざむ)く聖職者もいる。どうすれば、この世界の「悪」をなくし、「善」を生(しょう)じさせることができるのかーカントは、哲学者として、「悪の原理」に対して「善の原理」を勝利させる道を真摯(しんし)に模索した。彼が、「努(つと)めて賢(かしこ)くあれと人間精神の啓蒙(けいもう)を促(うなが)し「教育の変革」を訴(うった)えた理由も、ここに見いだすことができよう。

カントの『教育学』には、こうある。

「善(よ)い教育とは、まさに世界のあらゆる善が生(しょう)じる源泉にほかならない」(加藤泰史訳)

「(人間が)道徳的で賢明にならなければ、悪の量が減少するようなことはないのだ」(同)

民衆を賢明にする「教育」こそ、社会を「善」の方向へと導(みちび)く正しき軌道(きどう)なのである。

さらにカントは語る。

「教育計画のための構想は世界市民主義的に立てられなければならない」(同)

教育は、「世界市民の教育」へと変革されなければならない。国家を超(こ)える視野を持った世界市民こそが、「永遠平和」を築く礎(いしずえ)となるからである。

だからこそ、カントは、権力欲に駆(か)られた政治家が、国家予算を「戦争」に費(つい)やして、「教育」をないがしろにしていることを批判したのである。

人間に「賢くあれ」と促(うなが)すカントの思想については、哲人政治家として名高い、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領とも語り合った。(1991年6月、ドイツのボンで)

大統領とは、新生ドイツにおける最重要の課題は「教育」であるという点でも意見が一致した。

「社会の変革」のためには、「教育の変革」そして「人間の変革」が不可欠である。世界の真剣な指導者は、共通して、この不変の原理を志向(しこう)している。

世界に「大善(だいぜん)」を広げゆく「世界市民の教育」は、牧口先生、戸田先生の宿願(しゅくがん)でもあった。私が、創価大学アメリ創価大学を創立したのも、両先生の構想を実現するためである。

「善の勝利」 へ「善の行動」を

一、カントは、この世界に「善の勝利」をもたらすためには、善の実現と拡大を目指す〝倫理(りんり)的な共同体″が必要であると主張している。

勇気の旗(はた)のもとに、あらゆる人間が結合し、「悪」と戦うことを展望した。 真の宗教の役割も、ここに見いだしていたのである。

カントが、宗教において、何より大切にしていたのは、「善の行動」である。「善の行動」なき宗教は〝死せる宗教″である。

カントは、「善の実現と拡大」に努力する人間が結合してこそ「永遠平和」の世界が実現することを示したのである。

人間の革命へ、世界平和へ、創価学会は、これまで「教育」と「宗教」の両輪(りょうりん)で前進してきた。

これからも、それは変わらない。 創価学会は、「民衆教育の総合大学」であり「善の拡大を目指す大哲学運動」なのである。

講義は知的な啓発とユーモアが

一、カントは、母校のケー二ヒスペルク大学で41年間、講義を続けた。

自然、政治、教育、宗教、芸術など、あらゆる分野に広がりをもつカントの哲学は、母校で続けられた、日々の講義とともに生まれた。

カントほどの哲学者であれば、当然、数ある大学から、より好待遇(こうたいぐう)での招聘(しょうへい)があった。しかし、すべて断(ことわ)り、愛する母校にとどまった。そして、老衰(ろうすい)で講義に立てなくなるまで、教師としての使命を全(まっと)うし、最後の最後まで母校に尽くしたのである。

カント哲学が広く信奉(しんぽう)された理由の一つが、カントの教師としての「誠実さ」「熱心さ」にもあったことは、見逃せない事実である。

カントは、はじめ15年間、私講師〈聴講(ちょうこう)した学生から授業料をもらうー種の非常勤講師〉として母校に務めた。そのため長い間、定収入が得られなかった。いくつもの異(こと)なる分野の講義を受け持たざるを得なかった。

しかし彼は、熱心に、誠実に講義を行った。休養を取ろうともしなかった。絶対に手を抜(ぬ)かなかった。

講義は、知的な啓発(けいはつ)を与えずにはおかない魅力があった。大変、ユーモアにも富(と)んでいた。 学生にとっては、「楽しい人間的なふれ合いのひととき」であった。カント自身、学生を楽しませ、笑わせるのが、とても好きだった。決して、威張(いば)ることもなかった。

真の知性は、人間の振る舞いに現れる。

御聖訓には、「畜生(ちゅくしょう)の心は弱きをおどし強きをおそる当世(とうせい)の学者等は畜生の如(ごと)し」(御書957㌻)、と仰(おお)せである。権力にへつらい、弱者に威張るのは、畜生根性である。

傲慢(ごうまん)は、野蛮な動物性の姿なのである。

カントに学んだ文学者のヘルダーは、教師としてのカントについて、〝真理を求める熱意″〝真理を人類の幸福に役立てようとする情熱″〝党派心、派閥(はばつ)根性から懸(か)け離(はな)れた態度″〝人気取りや名聞名利(みょうもんみょうり)を求めぬ姿勢″に感銘(かんめい)したと賛辞(さんじ)を捧(ささ)げている。

「思索(しさく)する力」を

一、カントの講義には、常に新しい工夫(くふう)と創造があった。それは、世界市民としての広々とした視野を培(つちか)うものであった。

大学の講義に、先駆的に「人間学」と「地理学」を設けたのもカントである。その講義は、人気を集め、いつも満席だったという。

カントが講義で語った有名な言葉がある。

「諸君は、わたしから哲学を学ぶのではなくて、哲学することを学ぶでしょう。思想を、たんに口まねするために学ぶのでなくて、考えることを学ぶでしょう」(小牧治訳)

学生が自(みずか)ら「思索(しさく)する力」をつけることを目指して、講義を進めたのである。

さらにカントは、学生の生活や就職にも心を配(くば)る、慈愛(じあい)あふれる教師だった。

教え子からは「人道主義の真の先生」と慕(した)われ、その影響のもとに、多くの文化運動や教育改革の指導者が育っていったのである。

創価大学もまた「学生のための大学」である。この崇高(すうこう)な志(こころざし)を忘れることなく、「建学の精神」のもと、教員と学生が一体となって、「人間教育の理想」を実現していただきたい。

何のための学問

一、カントは、当時の「学問」のあり方を厳しく批判した。

「学者は、すべては自分のために存(そん)すると思っている」 (尾渡達雄訳)とカントは言う。

多くの学者たちは、狭(せま)い専門に閉(と)じこもり、偏(かたよ)ったものの見方にとらわれていた。学識をひけらかし、〝虚栄(きょえい)の道具″にしていた。「何のために学問するのか」という目標を見失っていた。

人間が真に必要とする「学問」とはどんなものかーそれは「人間であるためにはどのようなものでなくてはならぬかを学びうる学問である」(同)と、カントは明言している。

さらに、学問を、単なる「知識」に終わらせないためには、「知恵」が不可欠であるとした。

「知恵」があってはじめて「知識」を活用できる。「人間が解決しなければならない」課題に立ち向かうことができるからである。 そして学問は、「人類の福祉(ふくし)」を目的とすべきであると確信していた。


母校に生涯を捧(ささ)げたカント 創造的な魅力(みりょく)の講義

学問は「虚栄(きょえい)の道具」ではない

教育で世界市民

カント「決意は実行せよ」「私は私の道を行く!」 


カントは、こうした考えをもとに、あらゆる学問の源泉となり、あらゆる行動の源泉となる「人間学」の確立に、死の直前まで情熱を注(そそ)いだのである。

一、「御聖訓には、 「『心』の不思議さこそ、仏教の 『経典』と『論』の説(と)く肝要(かんよう)なのである。この(不思議なる)『心』を悟(さと)り知った人を、名づけて『如来(にょらい)』という」(御書564㌻、通解)と仰(おお)せである。

仏法は、人間生命の内奥(ないおう)を探究した人間学の究極(きゅうきょく)である。「人間は、いかに生きるべきか」。その智慧(ちえ)を、今こそ世界が求めている。