2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

きょうの聖教新聞  2009・10・8

★名字の言 ▼「リオデジャネイロ!」。2016年夏季五輪の開催都市が決定すると、リオのビーチに集った5万人は熱狂した。カリオカ(リオっ子)の喜びは天を衝く勢いだった ▼東京への招致がならなかったことは残念だったが、今回の決定は「南米で初の開催」…

きょうの聖教新聞  2009・10・7

★名字の言 ▼きょう10月7日は「離島部の日」。全国から同志の活躍の報告が寄せられている。模範の友好拡大を誇る沖縄・南大東島の友。中心者は、昭和53年(1978年)の支部結成以来のベテランの支部長・婦人部長の夫妻だ ▼入会前は赤貧にあえいでいた…

きょうの聖教新聞  2009・10・6

★名字の言 ▼「手紙とは/手と紙/筆・紙を選んで/ことばを選んで/思いをつづる/そしてそれは残る/心が残る」。岩手県ゆかりの先人がつづった書簡などを展示する「盛岡てがみ館」を訪れた際、目にした一文である ▼展示書簡の多くは、礼状の類だった。人は往々に…

◇ 方面長協議会での名誉会長のスピーチ ㊦   2009-10-5

一対一の対話を! 正義の拡大を! 勇気に燃えるリーダーたれ 「幹部が走るから皆もついてくる」 一、人間指導者の真髄は、「率先垂範」にある。 中国・明代の哲人指導者として名高い呂新吾《りょしんご》は述べている。 「聖人は、手足にたこやあかぎれをつ…

◇ 方面長協議会での名誉会長のスピーチ ㊤   2009-10-5

さあ最前線へ 座談会へ 人間の中へ 戸田先生 自分が責任を持つのだ。 手伝いをしている気持ちの人間が何万人集 まろうが本当の戦いはできない! 一、全国、各方面の代表の皆さん、ご苦労さまです!(大拍手) 勝利への前進のためには、中心の車軸が、しっか…

◇ 随筆 人間世紀の光 No.206 人類の平和の大道 ㊦2009-10-3

若く新しい力を! 私は大胆に、若く新しい人材を登用した。そこから、新たな広宣流布の前進の息吹が生まれるからだ。 「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856㌻)と御書に仰せである。 人で決まる。一番大事なのは「人事」だ。 「地区」と…

◇ 随筆 人間世紀の光 No.206 人類の平和の大道 ㊤ 2009-10-3

一人立て! 世界広布へ誉れの前進 太陽は大空に燦然! 仏法の人間主義に国境なし 「地球上から悲惨の二字をなくしたい」 師弟の誓願を胸に 青年よ 弟子よ 走れ 怯まずに 今日も生きぬく その人に 勝利の栄光 開く法理は この10月の2日に生誕140周年を迎えた…

きょうの聖教新聞  2009・10・4

★名字の言 ▼折から不況で転職を余儀なくされる人がいる。再就職したものの仕事に意欲や希望を持てないとの声も聞く。そうした現実に直面した時、どう考えたらいいのか ▼創価大学のホームページに、米国のテーマパークでインターンシップ(就業体験)に参加し…

きょうの聖教新聞  2009・10・3

▼静岡市は今月、東京・新宿駅前で特産品の展示会を開く。特別展のタイトルは「師弟展」。8年前、同市が伝統工芸品産業を中心にスタートさせた「後継者育成事業」にちなんだもの。どんなに優れた伝統でも、後を継ぐ人がいなければ途絶えてしまう。そうした意…

きょうの聖教新聞  2009・10・2

★名字の言 ▼「わたしの考えは、いつも前進するということです。もし神が人間の後退をお望みならば、人間の頭のうしろに目を一つだけおつけになっていたでしょう」-ビクトル・ユゴー作/榊原晃三訳『九十三年』の一節だ。文豪ならではの巧みな着想にもとづく…

きょうの聖教新聞  2009・10・1

★名字の言 ▼先月、東大阪の会館での入会記念勤行会。20代の青年の入会を祝福するため、50人を超える友が集まった ▼東大阪の地元からは、初めて顔を見る婦人部の方々。会ったこともないが、自分の新たな出発を祝福してくれる同世代の男子部員たち。神戸か…

きょうの聖教新聞  2009・9・30

★名字の言 ▼2898万人ー総務省が先日の「敬老の日」に合わせて発表した、65歳以上の高齢者の人数だ。とりわけ女性高齢者の割合は、女性人口の4人に1人、25%を超えた。男性よりも一足早く「超高齢社会」に突入したのである ▼長寿社会に生きる女性に…

きょうの聖教新聞  2009・9・29

★名字の言 ▼東京・北総区の3人の壮年が、秋晴れの荒川土手で語り合った。話題は、24年前の3月、創価大学で開催された「北平和文化祭」。3人は男子部の組み体操に出演。練習会場は、真冬の荒川河川敷。毎回、仕事着のまま駆けつけた。次第に辺りは真っ暗…

きょうの聖教新聞  2009・9・28

★名字の言 ▼漢字の「聞」「聴」は、きく側の態度によって使い分ける。自分からきく場合は後者、自分に音声が入ってくる場合は前者。だから「きこえる」は「聴こえる」とは書かない ▼昨今は「聴く」という行為が減っている感がある。話しを聴かない、聴こうと…