2009-12-12から1日間の記事一覧

小説「新・人間革命」 12月12日 未来22

山本伸一は、懇談のあとも、札幌創価幼稚園の園内を回り、園長の館野光三らの要請に応えて、廊下などに名前を付けた。 遊戯室に通じる廊下は「虹のトンネル」、園庭にある小山は「王子王女の小山」、そして、青い屋根の鳥小屋は「ぼくたちの小屋」と命名した…

代表幹部協議会での名誉会長のスピーチ ㊦ 2008-11-27

アメリカの作家 真に偉大なものは飾り気がない 楽しき行進を 一、幹部自身が気取りを捨てて、どこまでも真剣に戦うことである。師匠に心のギアを合わせていくのだ。人も組織も、しっかりと指導を受けたところが伸びていくものだ。 19世紀から20世紀初頭を生…

代表幹部協議会での名誉会長のスピーチ ㊤ 2008-11-27

自分自身の幸福と勝利、万歳! 共々に明年を最高峰の一年に 一、きょうは、新時代を担う若きリーダーをはじめ、各部の代表が集われた。長い将来のために、懇談的に語り合いたい。 いよいよ、学会創立80周年の開幕である。 ともどもに、明年の栄光の峰を目指…

小説「新・人間革命」  12月11日 未来21

山本伸一は、園長の館野光三に、言葉をかけた。 「園長先生は、幼稚園の経験がないので不安かもしれません。苦労も多いでしょう。しかし、どんなに苦しいことがあっても、“これが当然だ。うんと苦労しよう”と決めて、頑張り抜いてください。 あなたの人生の…

小説「新・人間革命」  12月10日 未来20

教員の一人から、園児との関わり方についての質問が出た。 山本伸一は、「大事な問題ですね」と言って頷き、明快に答えた。 「難しく考えなくてもいいでしょう。まずは、子どもたちから好かれることです。園児が先生を好きだと思えれば、教育の目標は、大部…

小説「新・人間革命」  12月9日 未来19

札幌創価幼稚園の保育室は一階にあり、廊下の幅は、小学校並みに広い設計であった。また、玄関の靴箱のほかに、廊下にも靴箱があり、ここで外遊び用の靴に履き替え、園庭に出られるようになっていた。 保育室の収納スペースの戸は、掲示板としても使えるよう…

小説「新・人間革命」  12月8日 未来18

一九七五年(昭和五十年)の六月には、札幌創価幼稚園の園舎の起工式が行われた。 そして、八月には、幼稚園のモットー「つよく ただしく のびのびと」が決まった。 秋になると、パンフレットを持って、設立準備委員会のメンバーが、園児募集の呼びかけのた…

小説「新・人間革命」  12月7日 未来17

札幌創価幼稚園の設立にあたり、準備委員会で、園長を誰にするかという話になった時、すぐに館野光三の名前があがった。 彼の献身的な教育への情熱を、準備委員会の関係者らも、よく知っていたからだ。 山本伸一も、一九六九年(昭和四十四年)九月に北海道…

小説「新・人間革命」  12月5日  未来16

上砂川の小学校で高い評価を得た館野光三は、一九六八年(昭和四十三年)に、別の地域の中学校に移った。 この中学校に障がいのある生徒を特別支援する学級が開設されることになり、強く要望されての赴任であった。 旅立ちの日、あの夜尿症の子どもと母が、…

小説「新・人間革命」  12月4日 未来15

保護者会に集った父母たちは、初めは館野光三の話を、伏し目がちに聞いていた。 しかし、やがて、皆が顔を上げ、館野に、真剣な眼差しを注ぎ始めた。 彼は、熱を込めて語った。 「したがって、私自身、決して恵まれた生い立ちではありません。だから、ハンデ…

小説「新・人間革命」  12月3日 未来14

館野光三にとって、大学での二年間は、睡眠不足にさいなまれ、心身の限界に挑んだ“激闘”の歳月であった。眠気が襲うなか、緊張感を保つために、教室では、いつも、最前列に座って講義を聴いた。 一九五九年(昭和三十四年)、卒業した彼は、念願の教師となり…

きょうの聖教新聞  2009・12・12

★名字の言 ▼山形県酒田市の「土門拳記念館」で、生誕100年記念展を見た。写真家として名をはせた氏の力作が並ぶ会場の一角に、ぎこちない曲線で描かれた絵画が飾られていた ▼氏は生前、脳内出血に倒れ、右半身の自由を奪われた。病と闘いながら、左手で描…

きょうの聖教新聞  2009・12・11

★名字の言 ▼朝、家を出る皆さんに、ちょっとした提案。「きょう一日で、『赤い色』のものを、いくつ見つけられるでしょうか」 ▼ポスト、赤い文字の看板、赤い花、赤い帽子・・・。世の中は、こんなに赤いものがあふれていたのかと驚くほど、不思議に赤い色が…

きょうの聖教新聞  2009・12・10

★名字の言 ▼「永い冬を耐えわたしは/草のように甦る。/愉しげなひばりよ/どの畝からも歓喜に舞いあがれ」(「春」伊吹郷訳)。詩の作者は戦争中、日本に留学した韓・朝鮮半島出身の尹東柱。日本の植民地支配に抵抗し、母国の文字ハングルで多くの作品を残し…

きょうの聖教新聞  2009.12.9

★名字の言 ▼「家に帰った時、『あー、きょうは疲れた』と言う代わりに、最近は『あー、きょうは頑張った』と言うようにしているんです」。男子部のある部長が語っていた ▼「疲れた」と言うと、家族にも疲れが伝染する。逆に「頑張った」と言うと、何を頑張っ…

きょうの聖教新聞  2009・12・8

★名字の言 ▼農村部の友と懇談し、彼の持論を興味深く聞いた。直販ルートの開拓で購買者を増やした秘訣は、「縁した一人の顧客を満足させること」と。評判のサクランボ栽培で心がけていることを尋ねると、「基本品種の佐藤錦を完璧に育てること」と話してくれ…

きょうの聖教新聞  2009・12・7

★名字の言 ▼明治の文豪・幸田露伴は、自分の娘に魚のおろし方などを手ずから教えた。が、『論語』の素読だけは、家庭教師を付けた ▼その人は、露伴が理髪店で知り合った近所の老人。ところが老人は、論語だけでなく、娘を凧職人に会わせたり、寿司の食べ方を…