盂蘭盆御書 (諸精霊追善勤行法要の拝読御書)

 盂蘭盆御書  (諸精霊追善勤行法要の拝読御書)


解説
建治三年 (一二七七年) 七月一三日、五六歳の日蓮大聖人の身延より駿河国静岡県庵原郡に住む治部房日位の祖母に宛てて送られた御消息、御正筆は京都・妙覚寺にある。内容は盂蘭盆供養の由来を述べられ法華経の信仰を勧められている。系年については、弘安二年説と弘安三年説とがある。 →盂蘭盆、治部房〔参考〕盂蘭盆御書〔御〕一四二七

諸精霊追善勤行法要の拝読御書(御書全集 1430ページ 3行目~6行目)

 目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ、故に法華経の第三にいわく「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云々

  語句の説明
目連
   
Maha‐maudgalyayana釈迦十大弟子の一人。神通第一といわれた。摩訶目●連・目●連ともいい、菜茯根・采叔氏などと訳す。また父の名に因んで拘律陀・拘離多とも呼ばれる。仏本行集経・中阿含経などによると、マタガ国、王舎城郊外の拘離迦村のバラモンの出身。幼い頃から舎利弗と親交があり、容姿端麗で一切の学問に通達していたが、ある時、衆生が遊び戯れている姿を見て厭離の心を起こし、出家を決意して六師外道の一人。刪闍耶の弟子となった。しかし更に真実の法を求めて釈迦の弟子になったという。また盂蘭盆経によると、神通力で亡母が餓鬼道に堕ちているのを知ったが救うことができず、釈迦の教えに従って盂蘭盆供養をして母を救ったといわれ、今日の盂蘭盆会の起源とされている。→盂蘭盆経舎利弗、六師外道〔参考〕中阿含経巻二〇〔大〕一・五五九、仏本行集経巻四七〔大〕三・八七四、盂蘭盆経〔大〕一六・七七九、開目抄上〔御〕一九一、法華経題目抄〔御〕九四五

檀那
①布施のこと②布施をする在家の信者。檀越ともいう③男子に対する尊称。→布施〔参考〕四条金吾殿御返事〔御〕一一四八


初住
別教で説く五十二位 (菩薩修行の位) の中の十住の初め・発心住のこと。華厳経および菩薩瓔珞本業経巻下に説かれる。不退位ともいい、見惑を断ずる菩薩の位。また円教の菩薩は初住で一分の中道の理を証得して安住する故に、初住巳上を不退位とする。法華文九巻句下では、如来寿量品第十六の「我本行菩薩道」の文をもって釈迦の初住の位としている。→五十二位、十住、受持即観心、初住一分の中道、不退位〔参考〕如来寿量品第一六〔法〕五〇〇、菩薩瓔珞本業経巻下〔大〕二四―一〇一七、法華文句巻九下〔大〕三四―一三三、顕謗法抄〔御〕四五一、御義口伝巻上〔御〕七二三

妙覚
不可思議な仏の無上正覚のこと。一切の煩悩を断じ尽くした仏果をさす。五十二位の最高位に位置し、六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。→五十二位、六即〔参考〕顕謗法抄〔御〕四五一

三悪道
「さんなくどう」とも読む。三種の悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)のこと。三善道に対する語で、三悪趣・三塗(三途)ともいう。増一阿含経によると、悪業によって堕すべき三種の苦処をいう。 →餓鬼、三善道、地獄、畜生〔参考〕増一阿含経巻一三〔大〕二―六一四、開目抄上〔御〕二〇六/