法華経 久遠実成

法華経本門の中心的な法理は「久遠実成」です。この久遠実成は、寿量品第十六の中で説かれます。
すなわち、「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と説かれます。これによって、釈尊が今世ではじめて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫というはるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住してきた仏であることが明かされます。
爾前経や法華経迹門までは、人々はだれもが、釈尊はインドの国に王子として生まれ、出家し、修行の末にブッダガヤの菩提樹の下で初めて仏になったと信じていました。これは、釈尊が過去世に長い間、仏道修行を積み重ねて、今世で初めて成仏したという始成正覚の考え方です。久遠実成は、そうした従来の釈尊像を根本的に覆すものです。
寿量品では、釈尊が成仏して以来の長遠な期間が、ほとんど無限といってよいほど長いことが五百塵点劫の譬えをもって説明されています。
また、釈尊は、「私が、もと菩薩の道を実践して(我本行菩薩道)、成就したところの寿命は、今なお尽きていない」と示します。
久遠実成の仏は、今なお菩薩道を実践しているこのことが意味することは、仏界の生命が常住であるとともに、九界の生命も常住であるということにほかなりません。
すなわち、久遠実成の釈尊とは、仏になってからも十界の生命を具え、その十界のすべてを総動員して民衆救済の慈悲の実践を続ける仏です。