小説「新・人間革命」 陽光47 2月27日

山本伸一ヒロト・ヒラタを励ますのを、ムームーやアロハシャツを着た地元のメンバーも、共に目を潤ませながら、じっと見ていた。

 一人の弟子を思う師の心に、皆、感動せずにはいられなかった。

 “これが、創価学会の師弟の世界なのか!”

 メンバーは、伸一の振る舞いを通して、仏法の師弟の真髄を学んでいったのである。

 伸一は、皆に向かって言った。

 「わざわざ出迎えていただき、ありがとう!」

 メンバーは笑みを浮かべ、口々に歓迎の言葉を述べた。

 「アローハ!」

 「センセイ、お帰りなさい!」

 そして、伸一や峯子の首にレイをかけた。

 「ありがとう。皆さんのところへ、帰ってきましたよ。みんな元気だったかい」

 「はい!」という明るい声が響いた。

 伸一のハワイ訪問は、前年の八月以来、八カ月ぶりであった。

 彼は、出迎えてくれたメンバーに呼びかけた。

 「さあ、また一緒に、ハワイ広布の新しい歴史をつくろうよ」

 伸一は、空港から宿舎のホテルに向かい、午後八時から、パシフィック方面の最高スタッフ会議に出席した。

 席上、新たにホノルル本部が誕生することになった。これまでパシフィック方面はハワイ本部のみであったが、二本部となることが決まったのである。

 伸一は、ここでも、指導者としての在り方や、人材育成の重要性などを力の限り、語っていった。まさに、間断なき闘争であった。

 翌十一日、伸一はパンチボールの太平洋国立記念墓地を訪れた。第二次世界大戦をはじめ、朝鮮戦争ベトナム戦争戦没者が眠る墓地である。

 悲惨な戦争の犠牲となった人びとの冥福を祈るとともに、世界の平和を誓っての墓参であった。

 彼は一九六〇年(昭和三十五年)に、初めてハワイを訪問した折にも、この墓地を訪れている。

 広宣流布とは恒久平和の異名でもある。断じて戦争をなくそうという戸田城聖の誓いから、戦後の創価学会は始まった。

 ゆえに、平和を祈り、平和のために戦うことが、学会の精神なのだ。