小説「新・人間革命」 3月5日 宝塔1

 「『立宗の日』にちなみまして考えますことは、“日蓮大聖人は、いったい何をこの世に弘めようとなされたのか”という一点であります」

 山本伸一の力強い声が響いた。大きな、根本的な問題提起であった。

 金沢市石川県産業展示館を埋め尽くした参加者は、求道心にあふれた視線を、伸一に注いだ。

 一九七四年(昭和四十九年)の「立宗宣言の日」にあたる四月二十八日、伸一は、北陸広布二十周年を祝す記念総会に出席していた。

 その講演のなかで、彼は大聖人門下として最も重要な、このテーマに言及していったのである。

 「大聖人がこの世に弘めようとされたものは、端的に申し上げれば『本尊』であります。

 『本尊』とは、『根本として尊敬すべきもの』です。

 人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも、おのずから消えていくものである。

 ゆえに、いちばんの根本となる『本尊』を、一切衆生に与え、弘められたのであります。

 では、その『本尊』の内容とは何か」

 物事の本質にまっすぐに迫っていく伸一の講演に、参加者はぐいぐいと引き込まれていった。

 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻所収)とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命

をもって本尊とせよ』ということであります」

 「御本尊七箇相承」とは、日蓮大聖人から日興上人に相承された、御本尊に関する七箇の口伝である。

 伸一は、力強い声で語っていった。

 「つまり、大聖人の仏法は『一切の根源は“生命”それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは、まさに“人間生命”そのものである』という哲理であり、思想なのであります」

 明快な話であった。明快さは、そのまま説得力となる。

 この総会には、五百人ほどの各界の来賓も出席していた。

 「生命をもって本尊とせよ」という話に、皆、身を乗り出した。

 これまでの宗教にはない、斬新な哲学性を感じ取ったからである。