小説「新・人間革命」 宝塔4 3月8日

 山本伸一は、記念総会での講演の最後に、この四月二十八日を「石川の日」「富山の日」として前進の節を刻んでいくよう提案した。

 賛同の拍手が場内に響き渡った。

 伸一は、創価学会の方向として、それぞれの方面や県などが、独自性を発揮し、地域貢献をめざしていかなくてはならないと考えていた。

 そして、各県や各地域の前進の節とするため、学会として「県の日」などを定めるように推進してきたのである。

 彼は、北陸訪問に先立って、長野を訪れているが、四月二十六日に行われた長野県総会の席上でも、この日を「長野の日」としてはどうかと提案し、決定をみている。

   

 山本伸一の行動に休息はなかった。

 彼は、二十一世紀を「生命の世紀」「平和の世紀」とするには、今こそ仏法の平和の哲理を、地域に、社会に、世界に、広く浸透させなければならないと、決意していたのである。

 伸一は、平和と友好の橋を架けるために、五月末には初めて中国を訪問することになっていた。また、ソ連からも訪問の要請を受けていた。

 中ソは国境紛争によって対立の溝を深くし、一触即発の状況にあった。

 彼は、その事態を回避するためにも、中ソ両国を訪問し、人間主義に生きる仏法者として、平和の道を開かねばならないと考えていたのだ。

 また、未来を建設する最重要の柱となる教育事業にも、一段と力を注ぐ必要性を痛感していた。

 ゆえに彼は、片時の休みもなく走り続けた。

 四月の十三日夕刻、三十八日間にわたるアメリカ、パナマ、ペルー歴訪から帰国すると、早くも翌日には、学会本部の最高会議に出席した。

 さらに、外部の月刊誌などに原稿を執筆し、十八日には創価大学の入学式、十九日には創価学園大会に出席し、講演している。

 「もしも諸君がただ今善事をなし得るならば、絶対にそれを延期してはならない」(注)とは、大文豪トルストイ箴言である。

 未来というゴールで競り勝つには、「今」が勝負である。この一瞬一瞬に勝たねばならない。



 引用文献:  注 トルストイ著『人生の道』原久一郎訳、岩波書店