小説「新・人間革命」 3月13日 宝塔7

盛山光洋は、沖縄の竹富島に五人兄姉の末子として生まれた。

 竹富島も空襲を受けており、彼は周囲の人たちから、戦争の恐ろしさをよく聞かされてきた。

 また、父親は徴兵され、戦地で結核にかかった。

 戦後も、家で寝たきりの状態が続き、母親が祖母と父の面倒をみながら子どもたちを育てた。

 家族で、わずかな畑を耕して、粟や麦を栽培した。それが生活の糧であった。

 だが、しばしば訪れる旱魃は、その作物さえも奪ってしまった。

 光洋が八歳の時、一家は、開拓のために西表島に移住した。父は竹富島に残った。

 入植者の仕事は、茅葺きの家をつくるところから始まった。

 そして、木を倒し、根を掘り出し、犂を水牛に引かせて、畑や水田をつくった。

 西表島に来てから二カ月後に、父親が亡くなった。だが、悲しみにふける暇さえなかった。家族には、現実の生活をどう乗り越えていくかという課題が、重くのしかかっていた。

 母は石垣島まで芋などの作物を売りに行き、一家を養った。盛山が中学三年の時、伯母の勧めで母は創価学会に入った。幸せになれるものならとの、思いからであった。

 中学を卒業した盛山は、高校進学のために石垣島に出た。西表島と比べると、石垣島は大都会に思えた。

 彼には“自分は田舎から出てきた”という引け目があった。

 石垣島の環境になじめず、自分からクラスメートに話しかけることもできなかった。

 一学期が終わっても、友だちはできなかった。夏休みになり、寂しい思いで西表島に帰った。

 彼は、母親から何度となく、「『祈りとして叶わざるなし』の信心だよ」と聞かされてきたが、そのたびに、“そんなことがあるものか!”と反発してきた。

 しかし、もはや完全に行き詰まってしまった。孤独を感じていた。

 “自分も題目を唱えてみようか。本当に願いは叶うのだろうか……”

 「悩みある人は願いを立てよ。仏法は真剣勝負です。万一、実行して解決しなければ、戸田の生命を投げ出そう」

 戸田城聖は大確信をもって、こう述べている。