小説「新・人間革命」 宝塔20 3月28日
話すほどに、山本伸一の言葉には力がこもり、熱を帯びていった。
「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩だからです。
ゆえに、大聖人は『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(御書一三六〇ページ)と仰せなんです。
私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩です。
宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。
でも、誰を見ても、経済苦や病苦など、苦しみばかりが目立ち、地涌の菩薩のようには見えないかもしれない。事実、みんな、日々悩み、悶々としている。
しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです。
不幸や悩みに負けている仏などいません。
苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです。
では、地涌の菩薩の生命とは何か」
ここで伸一は、地涌の菩薩の生命について言及していった。
地涌の菩薩の上首は、上行菩薩をはじめとする無辺行、浄行、安立行の四菩薩である。四大士とも言い、これは、勇気をもって大衆の先頭に立つとの意味でもある。
日蓮大聖人は「御義口伝」に法華文句輔正記を引いて、四菩薩が、仏の生命に具わる四徳である「常楽我浄」に配せることを示されている。
また、東洋思想で宇宙の万物を構成する四つの元素とされる、「地水火風」の四大にも関連させながら論じられている。
上行は「我」を表し、「火」の働きをなす。
「我」とは、自らが仏であることを覚知し、何事にも動じない、強い主体性と信念を確立した境涯といえる。
また、「火」には物を焼く作用があるが、苦しみの元であるはずの煩悩を焼いて智慧の光へと転じ、世間の闇を照らす働きをいう。
つまり、周囲の人びとを熱き慈悲の一念で包み、勇気を与えゆく大リーダーの生命である。
語句の解説: ◎法華文句輔正記/中国・唐代の天台宗の僧、道暹の著。天台大師の『法華文句』、妙楽大師の『法華文句記』などに注釈を加え、字義を説明した書。
「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩だからです。
ゆえに、大聖人は『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(御書一三六〇ページ)と仰せなんです。
私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩です。
宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。
でも、誰を見ても、経済苦や病苦など、苦しみばかりが目立ち、地涌の菩薩のようには見えないかもしれない。事実、みんな、日々悩み、悶々としている。
しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです。
不幸や悩みに負けている仏などいません。
苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです。
では、地涌の菩薩の生命とは何か」
ここで伸一は、地涌の菩薩の生命について言及していった。
地涌の菩薩の上首は、上行菩薩をはじめとする無辺行、浄行、安立行の四菩薩である。四大士とも言い、これは、勇気をもって大衆の先頭に立つとの意味でもある。
日蓮大聖人は「御義口伝」に法華文句輔正記を引いて、四菩薩が、仏の生命に具わる四徳である「常楽我浄」に配せることを示されている。
また、東洋思想で宇宙の万物を構成する四つの元素とされる、「地水火風」の四大にも関連させながら論じられている。
上行は「我」を表し、「火」の働きをなす。
「我」とは、自らが仏であることを覚知し、何事にも動じない、強い主体性と信念を確立した境涯といえる。
また、「火」には物を焼く作用があるが、苦しみの元であるはずの煩悩を焼いて智慧の光へと転じ、世間の闇を照らす働きをいう。
つまり、周囲の人びとを熱き慈悲の一念で包み、勇気を与えゆく大リーダーの生命である。
語句の解説: ◎法華文句輔正記/中国・唐代の天台宗の僧、道暹の著。天台大師の『法華文句』、妙楽大師の『法華文句記』などに注釈を加え、字義を説明した書。