小説「新・人間革命」 宝塔38 4月18日

 外地での抑留や引き揚げを反戦出版のテーマとした県もあった。

 引き揚げ港となった博多港を擁する福岡県青年部でも、『死の淵からの出帆――中国・朝鮮引揚者の記録』を発刊している。

 引き揚げの道もまた、悲惨であった。

 そこに登場する、ある婦人は、満州(現在は中国東北部)の開拓民として入植。二人の子どもをもうけたが、二人とも病死した。

 三人目の子どもの出産を間近に控えた一九四五年(昭和二十年)八月十三日、突然、避難命令が出された。夫は徴兵されていた。

 彼女は家財道具を売り払い、義父、母と馬車に乗って、二百人ほどの開拓民らと共に逃げた。

 盗賊団にも襲われた。ソ連軍の爆撃も受けた。機銃掃射の標的にもなった。恐怖のために精神が錯乱し、自分の子どもを次々と馬車から投げ捨てる母親も見た。

 一カ月間、逃げ続け、ソ連軍の収容所に入った。女性は、次々と暴行された。彼女は頭を丸坊主にし、顔に墨を塗って難を逃れた。

 彼女は、腸チフスにかかったが、女児を出産する。しかし、母乳も出なかった。

 ゆでたコーリャンの上澄みを、必死になって飲ませた。だが、赤ん坊は日に日にやせ細り、四十四日目に死んだ。

 彼女と母親は、三十人ほどの女性たちと収容所を脱出した。逃亡中、さらに発疹チフスにもかかった。騙されて売られそうにもなった。

 自暴自棄になり、アヘンを飲んで自殺を図ったが、飲んだアヘンはすべて戻してしまった。舌を噛み切っても、死ぬことはできなかった。

 盗賊団に襲われ、逃げ惑うなかで、苦楽を共にしてきた母親とも離れ離れになってしまった。

 彼女が九死に一生を得て、帰国したのは一九四六年(昭和二十一年)十月であった。

 戦争の最大の犠牲者は女性と子どもである。だからこそ、女性は、平和を守るために立ち上がらなければならない。社会の主役として、正義の声をあげるのだ。

 「もし、非暴力が人類の守るべき教義であるならば、女性は未来の創造者としての地位を確実に専有するでありましょう」(注)とは、マハトマ・ガンジーの確信である。



引用文献: 注 ハリーバーウ・ウパッデャイ著『バープー物語――われらが師父、マハトマ・ガンジー』池田運訳、講談社