小説「新・人間革命」 4月21日 宝塔41

会長就任十四周年を迎えた一九七四年(昭和四十九年)の五月、山本伸一は、中国やソ連シンガポールの駐日大使との会談や、フランスの作家アンドレ・マルローとの対談など、平和への語らいに力を注いでいた。

 そして、月末には初の中国訪問が控えていた。

 その準備に多忙を極めていた、五月二十六日のことである。

 午後四時、伸一が、聖教新聞社の和室で行われていた、視覚障害者のグループである「自在会」の座談会に、突然、姿を見せたのである。

 この日の昼に、「自在会」の座談会があるとの報告を受けた彼は、短時間でもメンバーと会って励まそうと、急いで執務に区切りをつけ、駆けつけたのである。

“最も大変な思いをして信心に励んでいる同志を最大に励ますのだ!”

 それが、伸一の心であった。それが、人間主義であるからだ。

 視覚障害があるメンバーは、以前から互いに連携を取り合い、励まし合ってきた。友の輪は次第に広がり、グループを発足させたいとの機運が高まっていった。

 その報告を男子部長の野村勇から聞いた山本伸一は、即座に賛同した。

 グループの名称は「自在会」となった。

 たとえ、目は不自由であっても、広宣流布の使命を自覚するならば、その生命は自由自在である――との意義を込めた名である。

 そして、前年の十二月に三、四十人が集って、「自在会」発足記念の座談会を行い、以来、毎月、座談会を開催してきたのである。

 メンバーの願いは「いつの日か、私たちの座談会に、必ず、山本先生に出席していただこう」ということであった。

 周囲の幹部たちは「無理だ」と言ったが、決してあきらめなかった。皆が真剣に祈った。伸一に手紙を書いた人もいた。

 必死の一念を燃え上がらせよ。それは、いかなる状況も変えゆく力だ。

 会場の後方の扉が開いた。室内には、「自在会」メンバーと、ヘルパーとして一緒に参加した学会員など、約七十人が集っていた。

 振り向いたヘルパーの一人が息をのみ、そして叫んだ。

「先生!」

 歓声が起こった。