小説「新・人間革命」 宝塔43 4月24日
山本伸一は、それから笑顔で呼びかけた。
「さあ、勤行をしましょう。大きな声でお題目をあげよう」
伸一の導師で勤行が始まった。呼吸のぴったりとあった、清々しい勤行であった。
題目をしばらく唱え、鈴を叩いて御観念文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
視覚に障害があることから、伸一との距離がつかめなかったのである。
頭をぶつけた青年は、慌てて後ずさりし、恐縮して小さくなっていた。
伸一は、メンバーの苦労を深く感じ取った。そして、皆が一人ももれなく、信心を根本に強く生き抜き、なんとしても幸福な人生を勝ち取ってもらいたいと、ひたぶるに祈念するのであった。
一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。
勤行が終わると、伸一は振り向いて、緊張しているメンバーに、優しく語りかけた。
「どうぞ、お楽に!」
皆が膝を崩すのを待って、伸一は語り始めた。
「これからも皆さんの人生は、多難であるかもしれない。
しかし、何があろうとも、勇気と希望をもって、人間王者として、晴れ晴れと生き抜いていただきたい。
仏法では、衆生は『色・受・想・行・識』という五つの要素が、仮に和合して成り立っていると説いています。
少々、難しい言葉ですが、簡単に言えば、私たち人間は、肉体や感覚、認識作用など、五つの要素が集まって、仮に構成されているというのです。
そして、この仮の和合を、いかようにもつくり替えることのできる本源の力、生命の当体が、妙法であり、南無妙法蓮華経なんです。
やがて肉体は滅び、死んでいっても、生命は永遠です。
妙法に生きるならば、今世のみならず、三世にわたって永遠の幸福を獲得することができるんです。この三世の生命への確信こそが、信心の根本となります」
皆、伸一の話を、生命に吸い取ろうとするかのように、真剣な顔で耳を澄ませていた。
「さあ、勤行をしましょう。大きな声でお題目をあげよう」
伸一の導師で勤行が始まった。呼吸のぴったりとあった、清々しい勤行であった。
題目をしばらく唱え、鈴を叩いて御観念文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
視覚に障害があることから、伸一との距離がつかめなかったのである。
頭をぶつけた青年は、慌てて後ずさりし、恐縮して小さくなっていた。
伸一は、メンバーの苦労を深く感じ取った。そして、皆が一人ももれなく、信心を根本に強く生き抜き、なんとしても幸福な人生を勝ち取ってもらいたいと、ひたぶるに祈念するのであった。
一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。
勤行が終わると、伸一は振り向いて、緊張しているメンバーに、優しく語りかけた。
「どうぞ、お楽に!」
皆が膝を崩すのを待って、伸一は語り始めた。
「これからも皆さんの人生は、多難であるかもしれない。
しかし、何があろうとも、勇気と希望をもって、人間王者として、晴れ晴れと生き抜いていただきたい。
仏法では、衆生は『色・受・想・行・識』という五つの要素が、仮に和合して成り立っていると説いています。
少々、難しい言葉ですが、簡単に言えば、私たち人間は、肉体や感覚、認識作用など、五つの要素が集まって、仮に構成されているというのです。
そして、この仮の和合を、いかようにもつくり替えることのできる本源の力、生命の当体が、妙法であり、南無妙法蓮華経なんです。
やがて肉体は滅び、死んでいっても、生命は永遠です。
妙法に生きるならば、今世のみならず、三世にわたって永遠の幸福を獲得することができるんです。この三世の生命への確信こそが、信心の根本となります」
皆、伸一の話を、生命に吸い取ろうとするかのように、真剣な顔で耳を澄ませていた。