小説「新・人間革命」 4月25日 宝塔44
ここで山本伸一は、仏道修行は、どのような難をも耐え抜いていく、忍辱の心が大切であることを訴えていった。
メンバーが現実社会のなかで生き抜き、信心に励んでいくうえでは、さまざまな試練もあろう。心ない偏見、また、冷たい仕打ちに泣くこともあるにちがいない。
しかし、それに負けていれば、本当の幸福を築くことはできない。心が弱ければ不幸である。幸せという花は、強い心の大地にこそ開くのだ。
ゆえに伸一は「強くあれ! 断じて強くあれ!」との祈りと願いを込めて、釈尊が過去世に忍辱行を修行した時のことを明かした、仏教説話を語っていった。
それは、大智度論などに説かれているもので、一人の仏道修行者が、嫉妬とおごりに狂った王によって、耳や鼻、手足を次々と切られていったが、心は微動だにしなかったという話である。
「この精神は、私たちにも通じます。何があっても決して動じることなく、“広宣流布に生き抜こう”“わが使命を果たし抜こう”と、前へ、前へと進んでいくのが、師子です。
右足を切られても、まだ左足がある。その左足で生き抜き、戦い切るんです。
今度は左足を切られた。でも、まだ手がある。次は一方の手を切られた。しかし、まだ片手がある。
そして、両手を切られた。でも、耳がある。耳があれば、法を聴聞することができる。
片耳を切られても、まだ、一方の耳がある。両耳を切られても、まだ目がある。
さらに、その目を一つずつ取られたとしても、まだ口がある。口があれば、仏法を語り説くことができる。題目を唱えることができる。
口を失っても、命はある。命ある限り、心で唱題し続けるんです。
どこまでも信心に、広宣流布に、生き抜いていくのが地涌の菩薩であり、それが学会精神なんです。
その信心に立つ時に、必ずや仏も讃嘆し、一生成仏の大道が開かれる。
幸福は自身の信心でつかむ以外ない。ゆえに、信心には甘えがあってはならない」
厳しい口調であった。
しかし、そこに伸一の慈愛があった。
メンバーが現実社会のなかで生き抜き、信心に励んでいくうえでは、さまざまな試練もあろう。心ない偏見、また、冷たい仕打ちに泣くこともあるにちがいない。
しかし、それに負けていれば、本当の幸福を築くことはできない。心が弱ければ不幸である。幸せという花は、強い心の大地にこそ開くのだ。
ゆえに伸一は「強くあれ! 断じて強くあれ!」との祈りと願いを込めて、釈尊が過去世に忍辱行を修行した時のことを明かした、仏教説話を語っていった。
それは、大智度論などに説かれているもので、一人の仏道修行者が、嫉妬とおごりに狂った王によって、耳や鼻、手足を次々と切られていったが、心は微動だにしなかったという話である。
「この精神は、私たちにも通じます。何があっても決して動じることなく、“広宣流布に生き抜こう”“わが使命を果たし抜こう”と、前へ、前へと進んでいくのが、師子です。
右足を切られても、まだ左足がある。その左足で生き抜き、戦い切るんです。
今度は左足を切られた。でも、まだ手がある。次は一方の手を切られた。しかし、まだ片手がある。
そして、両手を切られた。でも、耳がある。耳があれば、法を聴聞することができる。
片耳を切られても、まだ、一方の耳がある。両耳を切られても、まだ目がある。
さらに、その目を一つずつ取られたとしても、まだ口がある。口があれば、仏法を語り説くことができる。題目を唱えることができる。
口を失っても、命はある。命ある限り、心で唱題し続けるんです。
どこまでも信心に、広宣流布に、生き抜いていくのが地涌の菩薩であり、それが学会精神なんです。
その信心に立つ時に、必ずや仏も讃嘆し、一生成仏の大道が開かれる。
幸福は自身の信心でつかむ以外ない。ゆえに、信心には甘えがあってはならない」
厳しい口調であった。
しかし、そこに伸一の慈愛があった。