小説「新・人間革命」 宝塔46 4月27日

 山本伸一は、皆の目を見ると、微笑みながら言った。

 「みんな泣いて目が腫れてしまったよ。水で拭いてあげよう。私たちは兄弟なんだから」

 彼は、同行の幹部に脱脂綿を用意してもらい、それをきれいな水に浸して、近くにいたメンバーの瞼をさっと拭いた。

 その隣にいたメガネをかけた青年が、皆を代表するかのように、「ありがとうございます」と涙声で言った。「自在会」の中核の一人である勝谷広幸であった。

 彼は先天性緑内障で、生まれた時から左目は、ほとんど見えず、右目の視力が〇・〇一であった。小学校の二年から盲学校に通い、五年からは寮に入った。

 中学校の二年の時、右目も視力の衰えが進み、手術を受けた。

 それまでの視力は、なんとか維持できたが、やがて、緑内障で失明するのではないかという不安にさいなまれながら、入院生活を送った。

 ある日、隣のベッドに付き添いで来ていた婦人が、「すばらしい記事が載っているから」と、新聞をくれた。「聖教新聞」であった。

 小学校五年の時に、父親が学会に入会し、勝谷も入会はしていた。だが、本格的に信心に励んだことはなかった。

 受け取った新聞は、しばらく放置しておいた。目が悪いのに新聞を読めと言われたことに、無性に腹が立ったのである。

 しかし、読まないで捨てるわけにはいかないと思い、二、三日後に新聞を開いた。

 顔にこすりつけるぐらい近づけないと、文字は見えず、しかも、読むのに時間がかかった。

 新聞には、難病を克服した体験が載っていた。半信半疑ではあったが、ひかれるものがあった。

 「聖教新聞」は、心の扉を開き、心を結ぶ、広宣流布の手紙である。

 勝谷は退院後、自宅療養したが、その時も、家にある「聖教新聞」や学会の出版物を貪るように読んだ。

 そして、生命は永遠であり、今世の苦しみの因は、過去世に自らつくった宿業にあり、現世の因が未来世を決定づけるという、生命の因果の理法を知ったのである。

 自分の運命を恨んでいた彼の、心を覆っていた雲が晴れ、希望の光が差した。