小説「新・人間革命」  6月15日 友誼の道38

山本伸一の一行は、北京大学の概要や教育方針などについて説明を受けたあと、体育館や図書館をはじめ、大学の各施設を見学した。

 当時の北京大学には、二十学部と七つの専攻科のほかに、学校が経営する七つの工場があった。

 工場は学生、教師、労働者による「自力更生」をスローガンとして、建設されたという。

 「生物化学製薬職場」では、実際に市販されている薬剤が製造されていた。学生たちは、学ぶとともに、現実に社会的責任を負っているのだ。

 学問と勤労とを連動させ、現実の生産に寄与させようとの試みである。

 また、学生が工場で労働に携わるのは、大学に学んだ青年が、大衆から遊離し、“精神的貴族”のようにならないための教育でもあった。

 そこに、伸一は、中国の教育革命の基本精神を見る思いがした。

 大学教育の在り方は、その国の状況や時代によって異なろう。この大学内工場も過渡的なものかもしれない。

 大切なことは、本来、大学は民衆を守るためのものであり、民衆に奉仕し、貢献するために大学で学ぶという原点を常に確認していくことではないだろうか。

 リーダーやエリートが“民衆に、直結していこう”“民衆に、奉仕していこう”という心を忘れ、人びとの上に君臨するようになれば、それは本末転倒である。

 伸一は、日本語科の学生とも親しく会話した。皆、驚くほど流暢な日本語であった。

 日本語を学んでどのぐらいになるのかを尋ねた。皆、まだ二、三年であるという。

 さらに、女子学生の一人に、なぜ日本語を学ぶのかを聞いてみた。

 瞳を輝かせながら、彼女は答えた。

 「中日友好の力となって、両国の繁栄のために尽くしたいからです」

 大きな理想をいだき、情熱をたぎらせ、日々、懸命に勉強に励んでいるのであろう。

 伸一は、さわやかな、青年の気概を感じた。

 一行は、その学生たちと、卓球の友好試合も行った。

 達者な日本語で話しかけてくる学生たちと試合をしていると、伸一は、日本で創価大学の学生と卓球に興じているように思えるのであった。