小説「新・人間革命」 友誼の道48  6月27日

山本伸一は、中国の後継者問題についても、李先念副総理に尋ねておきたかった。

 日本の新聞各社の北京特派員たちからも、「ぜひ、聞いてほしい」と要望されていたのである。

 伸一は、こう話を切り出した。

 「副総理のお名前である『先念』とは、『先に念う』、つまり『先見の明がある』ということを示されているのではないでしょうか」

 副総理の屈託のない笑い声が響いた。

 「そこで、先見の明ある副総理に、率直にうかがいたい。世界の注目は『毛沢東主席の後継者はどうなるのか』ということです。この点はいかがでしょうか」

 副総理は、その瞬間、表情を硬くし、言葉を選ぶようにして語った。

 「毛主席は、お元気です……」

 「よく存じ上げております。五十年先、百年先のことは、どうお考えでしょうか」

 すると、再び「毛主席は、お元気です」との答えであった。

 伸一は、微妙な事情があると直感し、即座に話題を変えた。

 このころ、四人組は毛沢東のあとの権力を握るため、さまざまな画策を続けていたのである。

 この会見に対しても、副総理に一言でも失言があれば、追い落としの材料にしようと、情報網を張り巡らしていたにちがいない。

 当時、“文革”の実態はベールに包まれていたが、李副総理も、また、周総理も批判の標的にされていたのだ。ほんの少しでも油断があれば、敵の術策にはまってしまうという緊張下で、日を送っていたのである。

 しかし、周総理らは、そのなかで、細心の注意を払いながら、真剣勝負で執務を続けた。冷静に、粘り強く、動向を見すえながら、嵐の時代を耐え抜いたのだ。

 一九七六年(昭和五十一年)一月、周総理が他界すると、人民は号泣した。そして、強大な力をもつ四人組に、公然と抗議の声をあげたのだ。

 歴史を動かすのは、人民である。「如何なる力量も人民の正義の事業が勝利に向うことを阻止できない」(注)とは、周総理の達観である。

 李副総理は、四人組の追放に立ち上がった。

 やがて、国家主席として活躍することになる。



引用文献:  注 『周恩来選集』森下修一編訳、中国書店