小説「新・人間革命」懸け橋22  8月24日

 イサエフ第一副市長は、山本伸一に市の鍵を手渡しながら語った。

 「私どもは、山本会長の再度のモスクワ訪問を希望しております。そのために市の鍵を贈呈いたします」

 会談が始まった。

 第一副市長は、まず、市庁舎がレーニンゆかりの建物であることを述べていった。

 そして、かつて、通りを拡張しなければならなくなった時のことを語ってくれた。

 「市は、庁舎を壊すことはしませんでした。

 五十メートルほど移動させて、手狭になったために、その上に三階を付け足して残しました。

 私たちは文化財の保護を、都市計画の最も大事な事業の一つと考えています」

 そう語る表情は、誇らかであった。

 それから、第一副市長は、モスクワ市の住宅問題や交通問題への対策、ゴミ処理、水道問題や環境汚染への対策を多方面から説明し、モスクワの未来図を語ってくれた。

 たとえば、大気汚染対策として、暖房用燃料を石炭から天然ガスに切り替えようとしていた。

 だが、それには、シベリアなど、遠隔地からパイプラインを引くために、莫大な予算を必要とすることになる。

 しかし、第一副市長は力を込めて語った。

 「人間の健康には代えられません。私たちは断固やります」

 伸一は大きく頷いた。

 それらの一つ一つの計画は、人間に原点を置いたものであることに、共感したのだ。

 環境破壊など、都市のかかえる問題は、日本もまた世界も、共通のテーマである。

 それを克服していくためには、イデオロギーや体制の違いを超えて、世界の大都市が協力し合い、人類の英知を集めて対処していかなければならない。

 資料の提供や整備計画の交換など、打てる手はいくらでもあるはずだ。

 「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことこそが、文明の使命である」(注)とは、詩聖タゴールの鋭い至言である。

 伸一は、手が痛くなるほど、真剣にメモを取り続けた。環境問題は、彼にとっても、なんとしても乗り越えなければならぬ、人類のテーマであったからだ。



引用文献:  注 「文明の危機」(『タゴール著作集8』所収)森本達雄訳、第三文明社