小説「新・人間革命」 懸け橋49  9月26日

 翌九月十六日は、ソ連訪問以来、協議を重ねてきた、モスクワ大学創価大学の、交流に関する議定書の調印式の日であった。

 この調印をもって両大学の教育交流が具体化し、いよいよ動きだすことになるのである。

 ホテルを出る時、山本伸一は、創価大学の学長らに言った。

 「創価大学を世界の大学にしよう。本当の国際人を養成できる大学にしよう。そのために、私は道を開き続けるよ」

 会場のモスクワ大学には、テレビ、新聞など、ソ連の各報道機関が取材に訪れていた。

 正午前、ホフロフ総長らに迎えられ、伸一たちが円卓に着いた。

 テレビカメラが回るなか、総長と創価大学の学長が、学術交流をうたった日露両文の議定書に署名した。

 議定書には、次のようにうたわれていた。

 「創価大学とM・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立大学は、日ソ両国間の友情と平和事業の強化に貢献することを目指し、学術交流と協力の拡大が、日ソ両国民間の相互理解を深めることを有意義なものとみなし、両大学間の学術交流を目的として下記の事項に合意した」

 そして、教授・助教授の交換、定期刊行物・学術文献・大学教育に関する資料の交換、学術研究のための研修生の交換の検討など、六項目の合意事項が記されていた。

 調印式を見守る伸一の胸には、愛する創価大学生たちの姿が、浮かんでは消えていった。

 彼は、未来のために、今、ソ連との学術・教育交流の道が開かれたことが嬉しかった。

 それはまだ、一本の細い、小さな道である。しかし、渓流が大河になるように、交流の持続は大道に広がっていくことを、彼は確信していた。

 調印式が終わると、伸一は峯子に語った。

 「私の目には、モスクワ大学創価大学の、三十年後、五十年後の交流の様子が浮かぶよ。

 教員だけでなく、やがては学生も行き来し、幾百人という青年が、交流の橋を渡るようになるだろうね」

 峯子は、微笑みながら言った。

 「また一つ、新しい歴史を開きましたね。未来への金の懸け橋ができましたね」