小説「新・人間革命」 懸け橋50  9月27日

 モスクワ大学創価大学の議定書の調印式のあと、山本伸一は、ソ連対文連主催の昼餐会に出席した。

 それから伸一は、ノーベル賞作家M・A・ショーロホフと会見するため、モスクワ市内の彼のアパートに向かったのである。

 伸一の心は躍った。

 彼は、革命の激動期のドン地方に生きるコサック農民を描いた『静かなドン』をはじめ、ショーロホフの作品に魅了されてきた。

 この会見については、伸一の方から希望したものであった。

 民衆こそが歴史の底流を支えるという、ショーロホフ文学を貫くテーマに、伸一は強い共感を覚えていたからである。

 しかし、ショーロホフは、体調を崩し、故郷のロストフ州で療養しているため、会見の実現は難しいとのことであった。

 ところが、前日の朝、「モスクワでショーロホフと、会談することが決まった」と伝えられたのである。

 モスクワの中心部にある質素なアパートの四階に、ショーロホフの部屋はあった。

 敬愛する文豪は、わざわざスーツに着替えて、丁重に迎えてくれた。

 伸一は、その真心に、いたく恐縮した。

 偉大な人格には真心の輝きがある。人徳とは誠実の結晶である。

 会談が始まったのは、午後四時であった。

 「ショーロホフ先生とお会いできて光栄です。今日は人生最良の日となりました」

 握手を交わしながら伸一が言うと、こぼれるような笑みで答えた。

 「ようこそ! お待ちしていましたよ」

 ショーロホフは、翌年の五月に七十歳を迎える。病気がちと聞いていた。最近行われたソ連作家同盟の会合にも欠席したとの話であった。

 しかし、直接、会った印象では、血色もよく、思いのほか、元気そうであった。

 伸一は、半ば安堵しながら、全世界のショーロホフ文学の愛好者を代表する思いで語った。

 「お体の具合はいかがでしょうか。

 世界にとっても大切なショーロホフ先生です。どうか、くれぐれもお大事になさってください」

 「ありがとう。誰でも体は大事です。あなたもお大事に」