小説「新・人間革命」 懸け橋51  9月28日

実はこのころ、ショーロホフの『静かなドン』に対して、盗作疑惑が起こっていたのである。

 山本伸一が訪ソするしばらく前、ソ連を国外追放された作家が、ショーロホフのほかに『静かなドン』の作者がいたとする説を発表したのだ。

 そして、「盗作」であると喧伝されていったのである。

 そこには、ソ連の生んだノーベル賞作家を否定したいという、西側諸国の思惑も働いていたのかもしれない。

 しかし、そんな渦中にありながら、ショーロホフは堂々としていた。その目は輝き、気力にあふれていた。

 後の話になるが、『静かなドン』のショーロホフの手書き原稿が発見され、また、コンピューターによる文章の統計分析も行われ、真作の有力な証拠となるのである。

 大詩人プーシキンは喝破した。

 「中傷というものは高名な人につきまとい苦しめるものだが、真実と直面すればいつでも無に帰する」(注1)

 ショーロホフは、伸一に尋ねた。

 「ロストフへは行きましたか」

 ロストフは、ロシア共和国南部の州で、コサック縁の地であり、ショーロホフの故郷である。そして、彼の不朽の名作『静かなドン』の舞台でもある。

 その言葉には、故郷への誇りと愛着があふれていた。

 故郷を愛し、故郷に誇りをいだける人は幸せである。それは自己への誇りと自信の原点となる。

 伸一は答えた。

 「いいえ、今回は、訪問することはできませんでした。いつか、ぜひ、ご一緒に訪問させていただきたいと思います。

 そのためにもショーロホフ先生には、いつまでも、お元気でいていただかなくてはなりません。

 東洋には、深い使命に生きる人は、健康になるという考えがあります。一番、大切なのは、使命感です」

 文豪は大きく頷いた。

 「私も、それを信じます。何回も入院したが、病気を克服して出てきました。私は使命感を忘れたことはありません」

 トルストイは「教養の高い人間とは――人生における自分の使命を心得ている人である」(注2)と記している。至言である。



引用文献

 注1 「評論」(『プーシキン全集5』所収)川端香男里訳、河出書房新社

 注2 トルストイ著『ことばの日めくり』小沼文彦訳、女子パウロ