小説「新・人間革命」 懸け橋65  10月16日

 山本伸一は、コスイギン首相を凝視しながら、強い語調で訴えた。

 「ソ連の人びとと同様に、中国の人びとも、平和を熱願しております。

 中国は、決して侵略主義の国ではありません」

 語らいは、まさに佳境に入ろうとしていた。

 伸一は、会談した李先念副総理や中国の人びとの本当の思いを語れば、コスイギン首相は、最も賢明な決断を下してくれると確信していた。

 「外交によって解決されなかった問題は、煙硝と流血とによってもやはり依然として解決されはしない」(注)とは、トルストイの達見である。

 首相は一九六九年(昭和四十四年)の九月、北ベトナムホー・チ・ミン大統領の葬儀に参列した帰途、北京に立ち寄り、周恩来総理と国境問題について語り合っている。

 その年の三月から八月にかけて、ソ連軍と中国軍の衝突があり、中ソ関係は緊迫していた。

 そのなかで、解決の方途を探るために、中国首脳と率直に語り合ったコスイギン首相の姿勢を、伸一は高く評価していたのである。

 しかし、それでも、中ソの緊張関係は、依然として続いていたのだ。

 ソ連は、米中関係が正常化に向かい、さらに、日本と中国が国交を正常化したことで、強い危機感を募らせていた。

 中ソは、関係改善に向けて、代表による話し合いをもつなどしてはきたが、大きな進展は見られなかった。

 そして、互いに疑心暗鬼になっていたのだ。

 伸一は、三カ月前に中国を訪問した実感を、コスイギン首相に伝えた。

 「中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。

 しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。中国はソ連の出方を見ています。率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか」

 首相は鋭い眼光で伸一を見すえた。その額には汗が浮かんでいた。

 そして、意を決したように言った。

 「いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。アジアの集団安全保障のうえでも、中国を孤立化させようとは考えていません」

 「そうですか。それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか」





引用文献: 注 トルストイ著『セワストポリ戦記』上田進訳、改造社